妖精は存在するのか
妖精と言うと、どんなものをイメージしますか。
ピーターパンに出て来る、ティンカー・ベルでしょうか。
妖精という表現は西洋的なので、西洋のファンタジーに出て来る、小人のような存在が思い浮かぶと思います。
日本では、座敷わらしなんかが、妖精の仲間のように見えますが、日本的な表現をすれば、妖精ではなく、妖怪あるいは精霊と言うのでしょう。
妖怪と精霊では、がらりとイメージが違うようですが、本質的には同じようなものと、考えられます。
要するに、普段は物質世界とは、異なる次元に存在していて、姿形があるのかないのか、はっきりしないけれど、時折人々の前に、何らかの存在感を示すものです。
妖怪は人に悪さをするけれど、精霊はいいことをしてくれる、というような感じがするかも知れませんね。
でも、天狗や河童や鬼などは、人に害をなすこともあれば、力になってくれることもあります。
彼らは妖怪とも言えるし、精霊とも言えるのです。
そもそも、妖精や妖怪、あるいは精霊などが、実在するのでしょうか。
証拠を示すことはできませんが、答えはイエスだと思います。
何故ならば、幽霊を含め、私たち自身の本質が、姿形を持たない意識体、すなわち精神エネルギーだからです。
物質世界の肉体と、つながりを持っているか、いないかの違いでしょう。
物質世界に体を伴って暮らす生き物は、人間だけではありません。
いろんな動物や植物、あるいは微生物のようなものまでいます。
それと同じように、肉体を持たない精神エネルギーとしての生命体にも、様々なものがいると考えられます。
その中には、動物よりも知性の低いものもいれば、人間よりはるかに知性の高いものもいるでしょう。
また、エネルギーとしての時空間を、操る能力があれば、人間から見て摩訶不思議なことを、行うことができるでしょう。
恐らく、物質世界とは少し波長が違う次元に、存在しているのでしょうから、私たちからは見ることも触れることもできません。
しかし、私たち自身の波長が、彼らの波長に近づいたり、どこかの土地の波長が、彼らのいる世界の波長に近ければ、時として彼らと、接触することがあると思われます。
案外、彼らの方からは、いつでも私たちのことを、観察ができるのかも知れません。
ただ、私たちが彼らに気がつかないだけ、ということも有り得ます。
私たち一人一人が体験している世界は、自分の肉体を通して得た情報で、構成されています。
みんな同じ世界にいるような気になりますが、実際は一人一人が、違う世界にいるのです。
そのため、人によっては他の人には見えないものが見えたり、聞こえない音が聞こえることは、あるのです。
肉体が存在している物質世界には、様々な情報があります。
私たちは、その情報の中から、ある情報だけを選んで、それを世界構築の材料にしているのです。
昔の人は妖精が見えたり、精霊と話ができたりしたと、聞くことがありますが、今では、そんなことは迷信扱いです。
実際、妖精が見えるとか、精霊が話ができるなどという人は、ほとんどいないでしょう。
もし、いたとしたら、恐らく病院へ連れて行かれてしまいます。
現代社会は科学を信奉しており、科学で説明できないことは、非科学的だという言葉で、片づけられます。
科学に抗う者は、頭がおかしいと思われるのが、おちなのです。
しかし、自分の世界は、自分で選んだ情報で創られているわけですから、妖精なんか信じないと決めてしまうと、妖精に関する情報は、目の前にあっても、シャットアウトされてしまいます。
よほど向こうから、強く存在をアピールしてくれない限り、こちらからは彼らの情報を、拾い上げることはありません。
子供には幽霊や精霊が見えるという話は、よく聞きますよね。
子供は科学信奉者ではありませんから、自分の感覚に素直です。
何も否定しませんから、目の前に差し出された情報を、疑うことなく受け止めるのです。
しかし、成長するにつれて、そういう話をしてはいけないのだと、考えるようになると、次第に妖精たちの情報を、取り込まなくなるのです。
つまり、妖精たちの存在がわからないのは、私たちが現実と考える物質世界に、どっぷり浸かっているからなのです。
霊能者と呼ばれる方たちは、子供の頃から感覚が鋭敏で、なおかつ大人になっても、その感覚を大切にして来られたのだと思います。
ちなみに、私は霊能者ではありませんが、誰もいないはずの隣に、人の気配を感じたり、寝ている時に、ネコのようなものに、乗って来られた経験はあります。
ですから、肉体を持たない存在は、身近にもいるのだと思っています。
妖精や精霊にも、いつかは会ってみたいものですが、そのためには自然や他の生き物たちに、優しい気持ちを持たないと、いけないような気がします。
よく、地球に優しい環境だとか、エコという言葉を聞きますが、あれは全て人間に利点があることが、前提になっています。
人間中心の発想であって、本当に地球に心を寄せているとは言えません。
エコではなく、エゴですね。
そうではなく、自分は地球の一部であり、自然は自分の兄弟なんだ、という理解と感覚で、優しい気持ちを持つということです。
自分がいい思いをしたいとか、つらい思いをするのは嫌だから、という考えの下では、本当の地球への優しさは、持てないでしょう。
そして、そんな心持ちでは、妖精や精霊にも、会えないかも知れません。