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人生の目的 その1

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 ※hooomeさんによる写真ACからの画像です。

私たちは何のために、生まれて来たのでしょうか。

この疑問を持ったことがある方は、多いと思います。

しかしこの疑問は前提として、自分が生まれて来たことには、理由があるはずだという思いがあります。

アリやゴキブリなどを見て、この虫は何のために、存在しているのだろうと、考えたこともあるでしょう。

可愛いペットの動物に対して、お前は何のために生まれて来たのか、とは考えません。

でも、人を襲うクマやイノシシなどについては、あいつらは何のために生まれて来たんだ、と思うかも知れません。

自分も含めて、その存在理由を探ろうとする時、人間はその存在に、何かの役割を見出そうとしています。

この、何のために生まれて来たのかという疑問は、何の役割があるのかという疑問に、言い換えることができます。

さらに別な言い方をすれば、その存在にどんな意味があるのか、という問いかけになるでしょう。

私たち人間が、あるいは自分という個人が、何のために生まれて来たのかと考えるのは、そこにどんな役割や意味があるのか、という思いがあるわけです。

しかし、役割とか意味というものは、それを判断する基準となる存在が必要です。

たとえば、ペットが役に立つとか意味があるとかいうのは、ペットの飼い主に対しての話です。

動物が嫌いな人にとっては、どんなに可愛いと説明されても、動物はいない方がいいのです。

 ※Jeff JacobsさんによるPixabayからの画像です。

人間の存在に役割や意味があるのかと考える場合、そこに神のような創造主、あるいは絶対的な存在を、想定しなくてはなりません。

それを想定しなければ、役割や意味ということを、考えること自体が無意味です。

でも、自分という個人の役割や意味となると、それは人間社会において、どうなのかという見方が成立します。

創造主から見た自分の役割や意味ではなく、社会から見た役割や意味、ということです。

それを見出すことができなければ、自分は無価値な人間だと思い込み、暗い人生を送ることになってしまいます。

しかし、そういう方には、もう少し突っ込んで考えて欲しいと思います。

それは社会とは何かということです。

改めて問われると、うまく答えられないかも知れませんね。

社会とは、何かの共通項を持った、集団を言うのです。

 ※S. Hermann & F. RichterさんによるPixabayからの画像です。

たとえば家族も、一つの社会です。
学校や職場も、それぞれが社会です。

趣味やスポーツの団体や、宗教や学問の組織なども、みんな社会です。

国や地域も社会ですし、男や女、あるいは大人や子供という分け方でも、社会は成立します。

人類全体を、一つの大きな社会と見ることもできます。

自分が無価値だと考える場合、このどれかの社会を、想定しているはずです。

それはその人が知っている社会であり、その社会の中で、自分の居場所が見つからないということです。

しかし大抵の場合、様々な社会があるのに、悩んでいる人が想定している社会は、ごく一部の社会です。

言い換えれば、その人の視野が狭くて、目に映る社会が、限られているということです。

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

自分が暮らす町で居場所がなく、思い切って外国へ行ってみると、全然知らない文化や価値観に迎えられ、自分への見方ががらりと変わる、という話はよくありますよね。

自分の存在に疑問を感じるということは、言ってみれば、チャンスなのです。

自分に意味や価値を見い出せないというのは、自分がいる場所が、そういう場所だということに過ぎません。

つまり、自分に疑問を抱いた時、それは自分の心が、違う所へ行きたいと、訴えているのです。

もっと自分が、活き活きと輝ける場所へ行こうと、心の奥底から、本音が叫んでいるのです。

それを邪魔するのは、自分のちっぽけな経験と、周囲に蔓延したネガティブな考え方です。

お前なんかに何ができるのか、というメッセージを、口や態度で示されると、自分には何もできないんだという、自己暗示にかかってしまいます。

 ※bBearさんによる写真ACからの画像です。

この暗示にかかると、身動きが取れずに、苦しむ続けることになります。

また、外の世界を知らないのに、ここも他の所も同じだと、決めつけてしまう考え方も、自信のなさの表れで、大切な好奇心を封じ込めてしまうのです。

何かのきっかけ、あるいは誰かの助けで、今までいた場所から違う場所へ移ることになり、そこで生命力を取り戻すことはあるでしょう。

でも、暗い気持ちのまま移動した場合、それが原因で、行った先でも嫌な思いを、するかも知れません。

できれば、自分で自分の殻を打ち破り、自分の意志で場所を変えるのが、望ましいと思います。

その状態であれば、新しい見識を受け入れやすく、自分が相手を受け入れることで、相手も自分を受け入れてくれるからです。

とにかく、自分の存在に疑念を感じた時、それは本当の自分に覚醒するチャンスであり、その時期が来たという知らせです。

 ※ハイハイさんによる写真ACからの画像です。

サナギから成虫の姿に変わった蝶は、サナギの殻を抜け出ると、その場所から新天地へと飛び立ちます。

それと同じ事なのです。

自分に疑念を抱いた時、それはそれまでの自分とは、違う姿に変わろうとしているのです。

つまり、サナギの状態になっているのです。

自分に自信を失っている人には、そのことを理解して欲しいと思います。