縁というつながり
世の中には縁というものがあります。
科学を信奉する人の中には、そんなものは偶然だと言う者も、いるかも知れません。
でも、普通の人であれば、縁を否定する人はいないと思います。
何をやってもうまく行かないし、面白いと思えない。
そんな時に、ある人に誘われて始めた仕事は、天職のように思われた。
他の人が誘われてもよかったのに、自分を選んで誘ってくれた。
これは縁です。
ずっといい人に巡り会えず、もう結婚はあきらめていた。
一人旅に出た先で、たまたま話をする機会を持った人と、一緒になることになった。
これも縁です。
全然違う所で生まれ育ち、全く違う経験を積んだ者同士が、ある時にある場所で出会い、互いの存在を認め合うことになる。
その瞬間だけを見ていると、偶然のように思えるかも知れません。
でも、一人一人の生まれてからの動きを追ってみると、その時にその場所で、相手に出会うために、全てが準備されているように思えます。
ただ、せっかく訪れたその瞬間、出会った相手に何かを感じながらも、他のことを考えたり、自分にいい事など起こるはずがないと、決めつけたりすることで、その出会いをふいにしてしまうことも、あると思います。
あるいは、目先の楽しみに心を奪われ、手に入れたはずの大切な出会いを、失ってしまうこともあるでしょう。
もしかしたらそんな事は、よく起こっているのかも知れませんね。
理屈ではなく、感覚を大切にしている人であれば、大切な出会いに気づくでしょう。
でも、自分の感覚が信じられない人は、見過ごしてしまう可能性が高いと思います。
それは、ある意味、自分を大切にしていないのと同じです。
自分にはそんな価値なんかないと、自分で自分を低く見たり否定したり、しているからです。
縁というものは、常にいいものとは限りません。
悪縁というものも、あります。
たとえば、悪い友人に引き込まれて、悪事に走るとか、似たような考えの者同士で、互いの足を引っ張り合いながら、暗い人生を送り続ける、などというものです。
これらの人々も、それぞれの人生を追ってみると、まるで磁石に吸い寄せられるように、互いを引き寄せ合うようになるのが、わかると思います。
こういう人たちには、先ほどのようないい人との縁は、なかったのでしょうか。
悪い道へ走ってしまう人たちの多くは、人生を投げやりに考えたり、自分自身を見捨てている傾向が、強いと思われます。
そういう精神状態の時には、力になってくれる人がいても、疑ってかかるでしょうから、わかりにくいのでしょう。
相手を信じる気持ちを、どれほど持ち合わせているかで、いい縁を引き寄せられるかどうかが、その後の人生を左右させるのだと思います。
しかし、人を信じて騙された結果、誰のことも信じられなくなるということは、あるでしょう。
人を信じられなくなったからと言って、その人を責めるわけには行きません。
ただ、誰のことも信じられなくなれば、待っているのは悪い縁だけです。
人を信じられなくなった理由は、いろいろあるでしょう。
でも、理由の如何に関わらず、人を信じられなくなった者を、待ち受けるものは、全てから逃げ出したくなるような状況です。
いい縁を呼び込みたければ、まずは自分を認めて信じることです。
自分になど、いい状況が巡って来るはずがないと、決めつけているうちは、そのとおりの状況が続くでしょう。
今、自分がどんな状況にあろうとも、自分を見捨てたり見下したりしないで、自分の好奇心が求めることに、忠実に生きてみて下さい。
自分の好奇心に従っている時が、一番自然な状態です。
そういう時にこそ、いい縁とのつながりが、できやすいのです。
いい縁に恵まれたければ、自分の本当の姿を押さえ込まず、自分の光を放ち続けることです。
縁は必ずあります。
それに自分が気づくかどうか、だけなのです。