世界の構造
空中に光源が一つあると、イメージしてみて下さい。
光源は太陽のように、周囲の空間の全てに、光を放ちます。
ここで別の場所に、もう一つの光源を、イメージして下さい。
初めの光源と、同じ空間です。
空間には二つの光源があり、それぞれが周囲に光を放っています。
この時、空間のある一点を見ると、そこには二つの光源からの、光が重なっています。
それは空間上の、全ての点で言えることです。
今度は三つ目の光源を、イメージして下さい。
空間には三つの光源があって、同じように周囲に光を放っています。
空間のどの点にも、三つの光源からの光が、重なり合っています。
同様に、無数の光源を考えると、空間のどの点も、無数の光が重なり合っています。
空間の位置によって、届く光の角度が異なりますが、全ての光が重なっている事では、全ての点は同等です。
私たちの本質は心であり、精神エネルギーです。
意識というものは、この世界においては、内面的なものであり、自分以外の存在については、外面的な情報しかわかりません。
しかし、それは自分がわからないだけの事で、全ての存在には、内面的なものがあります。
その内面的なもの、つまり意識というものには、私たちが考えているような、形というものがありません。
この表現が正しいかどうかは別にして、もし意識というものを、外面的なものとして、確かめられたとすれば、光のようなものだと思います。
光には形がありません。
存在はしているけれど、とらえどころのないようなものです。
意識とは、そのようなものでしょう。
ですから、意識というものを、光あるいは光源とみなすことにします。
ここで初めの話に戻りますが、空間にある無数の光源が、一つ一つの意識だと考えて下さい。
その光源が全て人間の意識であれば、それは人類の集団意識です。
同様に、その光源が全て犬の意識であれば、それは犬の集団意識になります。
同じように考えて、あらゆる存在の集団意識があって、それぞれが同じ空間に、それぞれの光を放ったとすると、空間上の全ての点に、あらゆる意識の光が重なります。
その光の重なりが、私たちが経験している、世界を構成しているのです。
ところで、光を放つ光源も、空間上の一点です。
そこにも周囲の光源からの光は、全て届けられます。
この光源が、私やあなたの意識だと考えて下さい。
私たちの意識は、そこへ届けられた、他の光源からの光を基にして、自分が体験する世界を、構築しているのです。
あなたの意識が、元の存在位置から、少しずれた所に移動したとしましょう。
そこでも前の位置と同じような世界を、体験するのですが、位置がずれた分、わずかに情報が変わります。
大きく位置を変えると、体験している世界の様子も、大きく変化します。
でも、それは世界が変わったというよりも、自分の位置が変わったというのが、正しい見方でしょう。
今の世界の状況を見て、不安に感じたり、途方に暮れる人は多いと思います。
でもそれは、自分が位置を変えられることに、気がつかないまま、ずっと同じ位置に留まり続けているのです。
同じ世界にいて、同じ体験をしているつもりでも、それぞれの世界を体験する位置が違うと、そこに構成される世界は、人によって違う世界になります。
場合によっては、同じ世界を全く反対の方向から、眺めたような受け止め方を、しているでしょう。
そこには楽しい世界も、悲しい世界も、苦しい世界も、存在しています。
その楽しい世界が、状況が変わって、苦しい世界になるかも知れません。
悲しいと思っていた世界が、喜びの世界になる場合もあります。
楽しいのはいいのですが、苦しくなったり、つらい状況がいつまでも続く場合は、自分自身の価値観を変えてみると、いいと思います。
価値観を変えるというのは、空間における自分の位置を、変えるという事です。
違う位置に移動すれば、周囲の光源から届く、光の角度が変わります。
それは物事の見方が、変わるという事です。
物事の見方が変われば、当然世界の感じ方、受け止め方が変わります。
苦しくて限界だと思っていた世界が、大変ではあるけれど、何とかやって行けそうだと、感じられるようになるでしょう。
さらには、もっと思ったとおりになって、それをあの大変さがあったお陰だと、受け止められるようになるのです。
物質世界では、場所を移動するためには、物理的な力が必要です。
しかし、形のない意識の世界では、自分の位置を変えるためには、価値観を変えるという事が、必要になるのです。
価値観を変えられずに、同じ位置に留まり続けるのは、物質世界で移動手段がわからず、身動きが取れないのと似ています。
物質世界で下手に動いて、かえって状況が悪くなることがあるでしょう。
それと同じように、価値観を変えるにしても、物事の理解度が少ない価値観になってしまうと、今よりもつらい位置に移動してしまいます。
喜びを感じられる位置へ移動するためには、理解度の高い価値観を持つことが重要です。
それは知性の高さを意味します。
でも、学校の勉強ができる、ということではありません。
学校の成績がよくても、知性の低い人は、いくらでもいます。
逆に、学校の成績が芳しくなくても、高い知性を持ち合わせている方も、たくさんいます。
本当の知性は、あなたの光を、美しく輝かせるものなのです。
自分は光なのだというイメージを持ち、美しい光を周囲に放っているところを、想像して下さい。
その光は他の光源たちの元へ届き、彼らが持つ世界観に影響を与えます。
それがどのようなものかは、直接確かめることはできません。
でも気にしないで、いい影響を与えられることを願いながら、光を放ち続けて下さい。
それが、本来のあなたの姿です。
また、その姿でいることが、あなたにとって幸せなことなのです。
何故ならば、その状態を維持している時に、あなたが体験する世界こそが、あなたが求めている世界だからです。
その世界は、喜びも悲しみも全て含めて、生きていることの奥深さと、幸せを感じさせてくれるものでしょう。