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どう受け止めるのか

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人生には、いろいろな出来事があります。

大きなものから、小さなものまで様々です。

それはある人にとっては、とてもで大切である一方で、他の人には、どうでもいい事というのは、よくある事です。

 ※Amanda BennettさんによるPixabayからの画像です。

その見解の相違が、トラブルの元になる事も、よく見受けられます。

ここでポイントなのは、何が大切で何が大切でないのかは、人によって異なるという事です。

ところが、自分の見解が絶対正しい、あるいは、相手の見解は絶対間違ってる、と考えてしまう事があるわけです。

たとえば、常識という考え方が、そのような判断の元になる事は多いですね。

科学あるいは宗教の信奉者も、同じような傾向があると思います。

また、大変な思いをして、他の人たちを信じられなくなった人が、周りはみんな敵ばかりと、決めつけてしまうこともあるでしょう。

しかし本来、物事や出来事には、意味がありません。

 ※Alexander BelyaevによるPixabayからの画像です。

たとえば、何かに蹴つまづいて転んだとしましょう。

それは歩行時に、足先が何かにぶつかり、体がバランスを崩して倒れた、というだけの事です。

しかし、転んだ人が、転ぶ前に嫌なことがあると、自分は何て運が悪いのだろうと、考えるでしょう。

場合によって、自分は誰かに呪われていると、受け止めるかも知れません。

ところが、転んだ時に、どこかから飛んで来た石が、頭上を通り過ぎたとしましょう。

転ばなければ、その石が直撃していた可能性があります。

そうすると、その人は自分は運がいいと、考えるでしょう。

その前に嫌なことがあったとしても、これで運が好転すると思うかも知れません。

でも、本当は蹴つまづいて転んだだけで、その事自体には、何の意味もありません。

それを体験した人が、自分が置かれた状況によって、そこにそれぞれの意味を見出しているだけなのです。

もう一つ、例を挙げましょう。

美味しい食事を食べた後、あと片づけをする時に、それを面倒臭いと思う人が、多いのではないでしょうか。

食事は楽しいイベントだけど、イベントが終わると、あとは楽しくないという事ですね。

 ※LaterJay PhotographyさんによるPixabayからの画像です。

でも、あと片づけまでが、イベントだと考える人は、楽しさの余韻に浸りながら、あと片づけをするでしょう。

あるいは、あと片づけが次の楽しみの準備だ、と受け止める人も、次の楽しさを思い描きながら、片づけます。

行う作業は同じですが、その作業をどう考えるかで、その人の世界観が、大きく変わって来るのです。

人生が楽しいかどうかは、その人の世界観と、その人が置かれている状況で決まります。

状況を変えることは、簡単なことではありません。

でも、世界観を変えることは、本人の気持ち次第で、どうにでもなります。

ただし、物事への理解度が深くないと、世界観を変えることも、やはり容易ではないでしょう。

突発的な事故や、あと片づけなどについて、それをどのように受け止めるかは、その人の価値観です。

その価値観は、事故や片づけ以外の場面でも、当たり前のように現れます。

つまり、単に事故や片づけに対する考え方、という問題ではないのです。

 ※Free-PhotosさんによるPixabayからの画像です。

何気ない、ちょっとした仕草や行動には、その人の人柄や価値観が、出ているものです。

一つの行いを見て、その人の全てを、決めつけるわけには行きません。

しかし、一つの行いから、その人の雰囲気や、思考パターンを読み取ることはできます。

事故や片づけに対して、どういう意味づけをするかという事は、他の場面においての、意味づけとも関連しているのです。

 ※Manfred Antranias ZimmerさんによるPixabayからの画像です。

他人の行動はよく見えても、自分の行動はよく見えないものです。

しかし、自分の行動を客観的に見ることができれば、自分ではうっかり見逃してしまうような、自分の思考パターンを、認識することができます。

そうすれば、ある物事をどう受け止めるかという事が、自分の行動パターンを決めていることに、気づくでしょう。

自分が楽しく過ごせているのなら、それで構いません。

しかし、何かに悩んでいたり、問題にぶつかっているようであれば、自分の思考や行動パターンを知る事は、大いに役立つと思います。

何にしても、楽しい人生を送りたいのであれば、様々な物事を、自分がどのように受け止めるのかを、確かめるのがいいでしょう。

そこに自分の人生を、色あせさせるような受け止め方があったなら、それを変えてみて下さい。

きっと同じような場面が訪れた時に、これまでとは全然違う気持ちに、なっていると思います。