子供の教育2
今の学校は、決められた授業数をこなすことで、先生たちは頭が一杯になっています。
しかし、上の学校へ行くためには、それだけでは足りません。
学校とは別に、塾へ通わなければならないのです。
これでは何のための学校なのか、わからなくなります。
私が子供の頃は、塾なんかほとんどありませんでした。
塾なんかへ行けば、馬鹿にされたものです。
今の学校教育はこれまでの流れを、誰も止めることができないまま、ずるずると流されるように、毎年同じことを、繰り返しているだけです。
流れについて来られない子供がいても、目をつぶって見ないふりを、するしかありません。
目的は授業をこなすことです。
これでは先生たちも、嫌気が差してしまうでしょう。
そんな仕事がしたくて、先生になることを目指した人は、いないと思います。
今の学校教育は、子供たちだけでなく、先生方にも納得が行かないような、負担を強いるものなのです。
こうなってしまった原因は、企業にあります。
多くの企業は、大卒を採用条件にしています。
大学を出ていなければ、面接すらしてもらえないのです。
高卒の人が採用してもらえる所もありますが、同じ仕事をしていても、高卒と大卒で基本給が違ったりします。
中卒の人の就職が、さらに困難なのは、言うまでもありません。
しかし、実際は大卒であれば、高卒の人以上に仕事ができるのかと言えば、そんなことはありません。
また、大学で学んだことを、活かせる職場で働ける人は、ほとんどいないと思います。
大学の学生たちは、いくつもの企業の面接を受け、とにかく内定をもらえた所に、飛び込むのです。
でも、その仕事に就くために、大学で勉強をしたわけではありません。
一方、企業の現場としては、教えたことがわかる理解力は、絶対に欲しいところです。
あとは、本人の素直さと、やる気です。
そこに大卒の資格は、関係ありません。
現場で働く者にとって、雇われる人の学歴など、関係がないのです。
しかし企業は多くの所が、大卒を採用条件にしています。
理由は恐らく、面接だけで全ては、わからないからでしょう。
わからない分を、学歴を参考にして、判断しているつもりなのです。
職業差別がなく、大学に行かなくても、働ける所がたくさんあれば、どうでしょうか。
研究に興味がない人は、大学に行かずに働くでしょう。
嫌な勉強に、しばられる必要がなくなるからです。
大学へ行く人は、研究がしたいから行くだけのことです。
大学へ行かない人よりも、大学へ行く人が優秀ということにはなりません。
大卒であろうとなかろうと、立場は全く対等です。
大学へ行った人は、自分の研究を活かせる所で、働きます。
今のように、研究に関係のない職場を、必死に探し回る必要はありません。
問題が出るとすれば、大学でしょう。
入学生が減って、経営が成り立たなくなるからです。
しかし、大学は研究機関です。
本当に必要な研究機関であれば、国はお金を出し惜しみすることなく、ちゃんと支援するべきなのです。
お金が儲かるかどうかで、研究を評価するのは愚の骨頂です。
本当に研究をしたい者だけを入学させれば、授業は活発な議論の場になるでしょう。
また先生たちは、本来の仕事である研究に、もっと没頭できるようになります。
結果的に、研究の質は上がり、大学は今以上に、社会に貢献できるでしょう。
大学は社会人予備校の役目を終え、本来の価値を取り戻せるのです。
受験競争がなくなれば、子供たちは進学を、唯一の目標にする必要がありません。
それぞれが将来の夢を、大きく膨らませることができるでしょう。
授業も今よりも少ない時間で、子供たちの興味に合わせた、意味も内容もある授業を、行うことができます。
先生の目標も、子供たちがいい点をとることではなく、勉強の面白さを教えることになるでしょう。
特に専門の科目を、受け持っている先生は、自分が好きな科目の面白さを、どうやって子供たちにわかってもらおうかと、楽しく考えることができるでしょう。
試験の成績が悪ければ、それは子供が悪いのではなく、教え方が悪かったということになります。
だからと言って、先生が責められることはありません。
その子が理解できるような、もっと面白い授業をしてみようと、先生は自分で情熱に燃えるからです。
学校の授業が、これまでと同じようにできなくなった今、子供にも大人にも、本当に喜ばれるような教育というものを、社会全体で見直せたらいいなと思います。