子供の教育1
コロナ騒ぎの影響で生じた、授業の遅れを取り戻そうと、学校は必死でしょう。
受験が迫っている子供たちも、授業が進まないことで、不安を抱えていると思います。
それでも今は、これまでの学校教育が、本当によかったのかを、見直すチャンスでもあります。
一時、詰め込み教育が批判されて、ゆとり教育が推奨された時期がありました。
しかし、子供の学力が低下したという理由で、ゆとり教育は見直され、再び授業時間数が増えました。
その状態が、今に続いているのですが、結局は詰め込み教育に、戻っているのではないのか、検証するべきでしょう。
そもそも、子供たちに受けさせている授業が、どうして必要なのか、本当に必要なのかを、きちんと答えられる大人が、いるのでしょうか。
勉強をしておかないと、社会に出ても仕事がない。
成績が悪ければ、いい学校へ入れない。
頭が悪いと、国際競争に勝てない。
勉強が必要な理由を、大人が説明するとしたら、こんな感じではないでしょうか。
そのくせ大人が、今の子供たちが受ける試験で、どの科目でも100点を取れるのかと言うと、まず無理でしょう。
学校の先生でも、自分の担当の教科でなければ、50点も採れないかも知れません。
親なんか、さっぱりわからないから、子供の勉強は、学校や塾にお任せです。
それでも大人は、それなりに生きているのです。
それなのに、どうして子供たちに、いろんな勉強を、むりやり押しつけようとするのでしょうか。
子供の頃に受けた授業なんか、私は何も覚えていません。
覚えているのは、授業の途中で、先生が話してくれた雑談だけです。
面白いと思ったことしか、頭に残っていません。
勉強に関して、大人になっても、まだ理解できるのは、自分が興味を持ってやった事だけです。
そういう事は、大人になってからも、個人的に役立つことがあるからです。
しかし、他の授業は何の役に立っているのか、未だにわかりません。
大人になってから思うのは、勉強が必要なのは、大人も同じだということです。
社会に出て働くようになると、あれはどうなっているのか、こんな場合はどうするべきか、など自分でいろいろ考えます。
そして、必要に応じて本を読んだり、インターネットで調べたりして、知識を増やします。
私が社会人になった頃は、パソコンすら一般的ではありませんでした。
ですから調べるのは、もっぱら書物でした。
必要性に応じて調べていたはずが、読んでいるうちに、そちらの内容が面白くなることがあります。
それで同じような本を、何冊も読んだりしました。
同じような経験をされた方は、少なくないと思います。
本当の勉強というものは、大抵は大人になってから、行うものなのです。
それも自発的にです。
それは大変かも知れませんが、楽しいことでもあります。
嫌になったらやめてもいいという、主導権が自分にありますから、全然苦痛になりません。
それなのに、日本では勉強は、子供のうちにするものだと、思い込んでいる人が、多いように思います。
それも義務だから仕方なくするのだと、認識している人が、ほとんどでしょう。
その結果、勉強という言葉の響きが、アレルギーを起こしそうになるほど、嫌なものになってしまうのです。
学校教育が如何にまずいのかという、証拠だと思います。
子供の勉強というものは、生活に直接役立つようなこと、最低限必要なことを、年齢に応じて教えればいいのです。
子供のうちは、何でも覚えやすいからと言って、あれもこれもと教えるべきではありません。
子供に必要なのは、自分で考える力を養うことと、勉強が楽しいことだと理解することです。
そして何より大切なのは、自分が楽しいと思うことを追求することと、他の人が喜んでくれることで、自分も嬉しいと思えるようにすることです。
それ以外のことは、必要ありません。
外国の子供と学力を比較したところで、何の意味もないのです。
しかも評価される科目が、偏っているのも問題です。
その科目が苦手でも、他の科目が優秀な子供もいるのです。
しかし、その子たちは自分の得意分野では評価されず、一般的な評価で低く見られてしまいます。
それは、その子の自信を奪うことになり、人生を諦めさせることにもなるのです。