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無償の愛1

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無償の愛。

この言葉から、どんな事をイメージしますか。

どんな見返りも求めない愛でしょうか。

それは、確かにそうなのだと思います。

無償の「償」という漢字には、むくいる、つぐなう、という意味があります。

つまり、無償というのは、むくいたり、つぐなったりという事が、ないという意味ですね。

辞典によると無償とは、報酬がない、あるいは、報酬を求めないこと、とあります。

ですから、見返りを求めない愛という説明は、間違ってはいないと思います。

でも、形のないものを、言葉で表現しようとすると、言葉にした瞬間に、そのものの本質が歪められてしまいます。

「言葉では言い表せない」という言い方で、表現しようとする事もありますからね。

では、無償の愛というものについて、考えてみましょう。

この言葉が、どのようなものを表そうとしているのかは、イメージできると思います。

でも、そのイメージは人によって異なるでしょう。

無償の愛というわけですから、これは愛の範疇にあるわけです。

という事は、愛が何かを理解していないと、無償の愛というものも、わかっているようで、よくわからないという事になります。

 ※GanossiさんによるPixabayからの画像です。

無償の愛という言葉があるという事は、有償の愛というものがあるわけです。

そして、無償の愛が特別なものであるならば、通常の愛は全て、有償の愛という事なのですね。

自分はこんなに愛しているのに、あの人は全然気づいてくれない。

あれもこれもしてあげているのに、あの人は何もしてくれない。

これだけしてあげたのに、恩を仇で返すなんて最低。

こんな風に考えてしまうのは、よくある事です。

これらは全て、見返りを求めているので、有償の愛ということになります。

でも大抵の場合、本人はそうは思っていません。

「あなたを愛しているの。有償だけど」

「誰より君を愛しているんだ。有償だけどね」

こんな風に愛を語る人はいないでしょう。
これではちっともロマンチックではありません。

本当は有償の愛であっても、表向きには無償の愛を装うものです。

「君さえいれば、僕は何もいらないよ」

「あなたを心の底から愛しているわ」

こんな言葉を口にしながら、数年後には別れているかも知れません。

 ※Alexas_FotosさんによるPixabayからの画像です。

人は愛に憧れます。

でも、本当の愛がどんなものかを、理解できていないと、憧れはいつまで経っても、憧れのままです。

そして、ほとんどの人が愛について、よく理解していないと言えると思います。

何故なら、愛というものを、有償・無償の区別をしているからです。


ここに水があります。
無色の純水です。

多くの人が水を求めて、それぞれの器を差し出します。

どの容器もいろんな色がついていて、注がれた水が無色には見えません。

でも、それぞれの人は、自分の器の水の色こそが、本当の水の色なのだと信じています。

 ※Dutch AirさんによるPixabayからの画像です。

そんな人たちが、ある瞬間にだけ、手についた水滴を、目にすることがあります。

その水滴は、無色に見えるのです。

水滴を見た人たちは驚き、口を揃えて言います。
無色の水というものが、この世にはあるのだと。

水がどんなものかを、知っている人が聞けば、とても滑稽なことでしょう。

でも、色のついた容器の水しか、見ることができないのであれば、それは仕方がないことなのです。

愛についても、これと同じことが言えます。

本来、愛には無償も有償もありません。

有償の愛というものは、愛を様々な色に歪めて、受け止めているのです。

私たちが、無償の愛という言葉を用いるのは、愛の本質を垣間見た時でしょう。

でも本当の愛に、無償という言葉は必要ないのです。

ところで、水は無色と述べましたが、海のように大量の水がある場合、水は無色ではなく、いわゆる水色になります。

とても淡い色なので、わずかな量の水では、その色を肉眼で見分けることは、むずかしいのです。

 ※WalkersskさんによるPixabayからの画像です。

同じように、無償の愛と私たちが受け止めるものは、本来の愛の一面に過ぎません。

つまり、私たちが本当の愛だと考えているものは、愛の本質とは言えないのです。

私たちはどうしても、自分たちの生活の基準に合わせて、物事を判断しようとします。

そのため、物事の本質がわかりにくいのです。

愛の本質とは、私たちが通常理解しているものよりも、もっと大きく深いものです。