自分にできること
今、自分がやっている事とは、何でしょうか。
仕事?
趣味?
義務?
仕事は大抵が、生活のためですよね。
お金の世界ですから、お金を稼がないと、暮らして行けません。
自分の好きな事を、仕事にしている人もいるでしょう。
でも、ほとんどの人は、好きでしているのではなく、お金を得るためにしているのだと思います。
趣味は自分が好きなことです。
日常で嫌なことがあっても、趣味に没頭することで、嫌なことを忘れられます。
できれば、他の全ての事から解放されて、趣味だけに集中していたいと、誰もが思うでしょう。
それでも、やらないといけない事があると、そういうわけにもいきません。
仕事もそうですし、子育てや親の介護など、他に誰かがしてくれるわけでない事柄から、逃れる事はできません。
たまに逃れようとする人がいますが、それは当然事件へと発展し、結局はその人は、全てを失う事になります。
中には、やる事がないと言う方も、いるかも知れません。
仕事を失い、次の仕事が見つからない。
趣味というものなどない。
あるいは、以前は趣味があったけど、今はそんな余裕がない。
天涯孤独の独り身で、何かをしてやる相手も、特にいない。
する事が見つからず、一日ぼんやり過ごしてしまうのは、退屈でしょう。
それに、不安もあるでしょうから、やるせない気持ちになると思います。
さて、ここで質問です。
自分の前で、突然倒れた人が、いたとします。
あなたなら、どうしますか。
急いで駆け寄り、声をかけたり、息をしているかを、確かめるでしょうか。
携帯電話でも持っているなら、救急車を呼びますか。
あるいは周囲の人に声をかけて、助けを求めるでしょうか。
それとも、見なかった事にして、その場を立ち去ってしまうでしょうか。
その場を立ち去ったなら、その人は人助けを、自分の仕事・趣味・義務の、どれでもないと判断したのでしょう。
普段どおりの基準に、従ったのですね。
一方、駆け寄った人にしても、人助けを自分の仕事・趣味・義務とは考えません。
そんな事を考える暇など、ありませんからね。
では何故、駆け寄ったのでしょう。
何が行動の、原動力になったのでしょうか。
それは、その人が自分の無意識に、従ったからです。
言い換えれば、人に手を差し伸べるのは、人としての本音の行動なのです。
人は愛に生きる存在です。
つまり、人としての本音とは、愛なのです。
思わず手を差し伸べる行為とは、愛に従った行為です。
そういう行動に出る人は、自分の本音に素直なわけです。
しかし、日常生活の中で、いつでも本音に従えるとは、限りません。
駆け寄った人が、如何なる場面でも、本音に素直かどうかは、わかりません。
また、立ち去った人が、別の場面で、本音に従うことも有り得ます。
いずれにしても、人としての本音で生きる方が、魅力的だと思いませんか。
誰かのために、手を差し延べる。
それはいつだって、自分にできることでしょう。
それは他人から見ても、気持ちがいいですし、本人としても、気持ちのいいことだと思います。
今の世の中は、損得勘定や自分勝手な考え方で、生きる人が多いように思います。
でも、そんな人たちの中にも、人としての本音は、存在しています。
その本音に従えないのは、世間にはびこる価値観が、邪魔をしているからです。
しかし、愛で行動する人の姿を見ると、本音の部分が強く刺激を受けます。
その結果、自分も本音に従った生き方を、しようと思う人が出て来るでしょう。
一人にできることは、限られています。
一人の力では、大きなことはできないかも知れません。
それでも、自分にできることは、あるのです。
ささやかな事であっても、自分にできることであるのなら、素直に行動するのがいいと思います。
とにかく、自分が爽やかな気分になれます。
仕事や義務でやっていたはずのことも、愛の気持ちから、行うようになるでしょう。
自分がそうする事で、他の人も刺激され、周囲にいる人たちの多くが、同じように愛を示すようになると思います。
特に今は世界中が、様々な困難に打ちひしがれ、愛に飢えた状態です。
これまでだと、広がりにくかった愛の行為が、今は伝播しやすい状況なのです。
誰もが大変な時代ではありますが、こんな時だからこそ、ささやかな愛の行為が、大きな力を発揮するのです。
そして少しずつですが、小さいけれど素敵な環境が、社会のあちこちに作られて行き、やがては社会全体が、愛に満ちたものになると思います。