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責任より思いやり 期待より感謝1

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 ※チョコラテさんによる写真ACからの画像です。

今の世の中は、管理社会です。

学校でも職場でも、こういう人間であるべきとばかりに、決められた枠にはまる事を、求められます。

枠にはまろうとしない者や、はまろうと努力はしても、どうしてもはまらない者は、役立たずだとか、協調性がないやつという風に、見られてしまいます。

本当は優れた感性を持っていたり、他人にはない面白さを、持っていても、枠にはまる事の方が、優先されがちです。

先生や上司など、上に立つ人が理解のある人で、枠からはみ出ていても、本人のよさを伸ばそうとしてくれたならば、その人はラッキーです。

でも、大半の場合、枠にはまらないと、悪く見られてしまいます。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

下手をすれば家庭でさえも、躾の名の下に、子供たちが厳しい管理下に、置かれることもあります。

その躾が本当に社会的に、要求されている事柄であればともかく、大概の場合は、親の勝手な考え方や、ただの虐待である事も、多いと思います。

しかし、その親もまた、同様の管理下で育てられていたという事も、少なくないようです。

まともに子供を育てている家庭でも、幼い兄弟の上の子に、下の子の面倒を頼む場面が、あると思います。

ところが、上の子と言っても、幼い子供ですから、言われたようには、面倒が見られないこともあります。

その時に、その子を叱ってしまうのは、幼い子供に頼まれた事への、責任を求めているわけです。

でも、幼い子供に責任なんてことは、なかなか理解できないでしょう。

そういう事は、成長していく過程で、少しずつ覚えて行くことです。

親である自分も、子供の頃には同じ状況だったはずです。

しかし、大人になってしまうと、子供の頃の事なんて、忘れがちになってしまいます。

その結果、自分の都合で子供たちを、利用しようとしてしまうわけです。

相手の都合や状態など、考慮していないのですから、学校や会社が人を管理しようとするのと、同じですね。

つまり、誰かを管理しようとする時には、自分の都合を優先させて、相手の都合を考慮していないのです。

逆に言えば、相手の都合を考慮する時は、その人を管理するとは言いません。

 ※oldtakasuさんによる写真ACからの画像です。

話を初めに戻しますと、この世の中は管理社会ですが、それは社会が一人一人の都合など、考慮しないという事なのです。

みんな、それが当たり前だと、受け止めていると思います。

管理社会という言葉だけを聞いて、わかったつもりでいるのです。

でも、管理社会の本当の意味を理解したならば、どれだけ暮らしにくい環境に、自分たちが置かれているかがわかるでしょう。

企業や世の中への、奉仕ばかりが求められ、自分たちは誰にも、気に留めてもらえません。

これでは、頑張ろうという気持ちも、萎えてしまいます。

逆に、誰かにねぎらってもらったり、具体的な支援を受けることがあれば、感謝の気持ちが生まれ、それが新たな動きの原動力となります。

普段でもそうなのですが、今のように大変な時は特に、上に立つ者は、自分の事ばかり考えずに、下にいる者たちをねぎらう気持ちを、持ってもらいたいものです。

それは他人に対する、思いやりを持つということです。

 ※まっきぃぃさんによる写真ACからの画像です。

学校の勉強も同じです。

子供たちは勉強を強いられ、試験でいい点を取ることを、求められます。

それが将来のためだと言われても、どうして将来のためになるのかを、ちゃんと説明してくれる先生はいません。

説明するとすれば、就職の時に有利になるからだとしか、言えないでしょう。

その子にどんな仕事に向いているかなんて、まだわかっていないのに、就職の話を持ち出しても、意味がありません。

でも、就職の話以外に、好成績を収めなければならない理由を、誰が説明できるでしょうか。

それに、学校で求められているように、全員が好成績を収めたとしましょう。

みんなが好成績になれば、差がつきませんから、誰も有利になりません。

ほとんど違いがないのに、一方は認められて、他方は認められなかったとなると、それこそ何のための勉強だったのかと、いう事になるでしょう。

学校の勉強は、本来子供の好奇心を、伸ばしてやるためのものなのです。

就職のためなどではなく、人間としての成長を、促すためにあるのです。

競争は楽しむものであり、科目による得手不得手は、その子の個性に過ぎません。

競争に勝っても天狗にならず、負けても腐らない。
自分も楽しみながら、他の子も楽しめる気遣いを覚える。

他の子の喜びや悲しみを、自分のものとできるようにする。
自分と他の子の違いを認め、それが楽しい事なのだと理解する。

世界の不思議を見つけ、それを探求する心を養う。
自分を表現する方法が、一つではない事を知る。

こういった事を、子供たちに学ばせる事が、学校の役割でしょう。

その子の成長具合や理解の度合い、好奇心の方向などを考慮し、その子に本当に必要な事を、その子のペースに合わせて教える。

それが学校に求められる、教育の姿勢だと思います。

それは社会の宝である、子供たちへの思いやりです。

 ※Halit AkkayaさんによるPixabayからの画像です。

仕事を頑張ってくれている人々や、懸命に成長しようとしている子供たち。

彼らに対する、思いやりの心こそが、今の世の中に、求められているのだと思います。