責任より思いやり 期待より感謝1
今の世の中は、管理社会です。
学校でも職場でも、こういう人間であるべきとばかりに、決められた枠にはまる事を、求められます。
枠にはまろうとしない者や、はまろうと努力はしても、どうしてもはまらない者は、役立たずだとか、協調性がないやつという風に、見られてしまいます。
本当は優れた感性を持っていたり、他人にはない面白さを、持っていても、枠にはまる事の方が、優先されがちです。
先生や上司など、上に立つ人が理解のある人で、枠からはみ出ていても、本人のよさを伸ばそうとしてくれたならば、その人はラッキーです。
でも、大半の場合、枠にはまらないと、悪く見られてしまいます。
下手をすれば家庭でさえも、躾の名の下に、子供たちが厳しい管理下に、置かれることもあります。
その躾が本当に社会的に、要求されている事柄であればともかく、大概の場合は、親の勝手な考え方や、ただの虐待である事も、多いと思います。
しかし、その親もまた、同様の管理下で育てられていたという事も、少なくないようです。
まともに子供を育てている家庭でも、幼い兄弟の上の子に、下の子の面倒を頼む場面が、あると思います。
ところが、上の子と言っても、幼い子供ですから、言われたようには、面倒が見られないこともあります。
その時に、その子を叱ってしまうのは、幼い子供に頼まれた事への、責任を求めているわけです。
でも、幼い子供に責任なんてことは、なかなか理解できないでしょう。
そういう事は、成長していく過程で、少しずつ覚えて行くことです。
親である自分も、子供の頃には同じ状況だったはずです。
しかし、大人になってしまうと、子供の頃の事なんて、忘れがちになってしまいます。
その結果、自分の都合で子供たちを、利用しようとしてしまうわけです。
相手の都合や状態など、考慮していないのですから、学校や会社が人を管理しようとするのと、同じですね。
つまり、誰かを管理しようとする時には、自分の都合を優先させて、相手の都合を考慮していないのです。
逆に言えば、相手の都合を考慮する時は、その人を管理するとは言いません。
話を初めに戻しますと、この世の中は管理社会ですが、それは社会が一人一人の都合など、考慮しないという事なのです。
みんな、それが当たり前だと、受け止めていると思います。
管理社会という言葉だけを聞いて、わかったつもりでいるのです。
でも、管理社会の本当の意味を理解したならば、どれだけ暮らしにくい環境に、自分たちが置かれているかがわかるでしょう。
企業や世の中への、奉仕ばかりが求められ、自分たちは誰にも、気に留めてもらえません。
これでは、頑張ろうという気持ちも、萎えてしまいます。
逆に、誰かにねぎらってもらったり、具体的な支援を受けることがあれば、感謝の気持ちが生まれ、それが新たな動きの原動力となります。
普段でもそうなのですが、今のように大変な時は特に、上に立つ者は、自分の事ばかり考えずに、下にいる者たちをねぎらう気持ちを、持ってもらいたいものです。
それは他人に対する、思いやりを持つということです。
学校の勉強も同じです。
子供たちは勉強を強いられ、試験でいい点を取ることを、求められます。
それが将来のためだと言われても、どうして将来のためになるのかを、ちゃんと説明してくれる先生はいません。
説明するとすれば、就職の時に有利になるからだとしか、言えないでしょう。
その子にどんな仕事に向いているかなんて、まだわかっていないのに、就職の話を持ち出しても、意味がありません。
でも、就職の話以外に、好成績を収めなければならない理由を、誰が説明できるでしょうか。
それに、学校で求められているように、全員が好成績を収めたとしましょう。
みんなが好成績になれば、差がつきませんから、誰も有利になりません。
ほとんど違いがないのに、一方は認められて、他方は認められなかったとなると、それこそ何のための勉強だったのかと、いう事になるでしょう。
学校の勉強は、本来子供の好奇心を、伸ばしてやるためのものなのです。
就職のためなどではなく、人間としての成長を、促すためにあるのです。
競争は楽しむものであり、科目による得手不得手は、その子の個性に過ぎません。
競争に勝っても天狗にならず、負けても腐らない。
自分も楽しみながら、他の子も楽しめる気遣いを覚える。
他の子の喜びや悲しみを、自分のものとできるようにする。
自分と他の子の違いを認め、それが楽しい事なのだと理解する。
世界の不思議を見つけ、それを探求する心を養う。
自分を表現する方法が、一つではない事を知る。
こういった事を、子供たちに学ばせる事が、学校の役割でしょう。
その子の成長具合や理解の度合い、好奇心の方向などを考慮し、その子に本当に必要な事を、その子のペースに合わせて教える。
それが学校に求められる、教育の姿勢だと思います。
それは社会の宝である、子供たちへの思いやりです。
仕事を頑張ってくれている人々や、懸命に成長しようとしている子供たち。
彼らに対する、思いやりの心こそが、今の世の中に、求められているのだと思います。