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親子関係 その2

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 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

高齢者が増えている世の中です。

子供が年老いた親の、世話をする機会が、増えていると思います。

誰にも面倒を見てもらえない、お年寄りもいます。

我が子に世話をしてもらえる人は、恵まれていて幸せだと、見られるでしょう。

でも、実際には本人が、そう感じているとは限りません。

かつては自分が、世話を焼いてやった子供です。
その子供に、親の方が子供扱いされるのです。

親としてのプライドは、大きく傷つけられるでしょう。

子供からすれば、いくら年を取ったと言っても、自分の親です。

親なら親らしく、しゃきっとしていて欲しいと、願うものです。

それに健康の話など、話せば理解してもらえると、思っています。

それなのに、何度同じ話をしても、全然理解していないとなると、だんだん腹が立って来ます。

忙しい中を、せっかくお世話を、しに来てあげているのに。
自分がいなければ、何もできないくせに、偉そうな事ばかり。

そんな不満が、出て来る事もあるでしょう。

それでも親ですから、放って置くわけにもいきません。
腹を立てながらも、世話を続けるのです。

また、自分の記憶に残っている親の姿と、目の前にいる親の姿が、あまりにも違い過ぎると、悲しいやら情けないやらで、涙が出そうになるでしょう。

感謝を求めているわけではないけれど、子供の自分をもっと認めて欲しい。
こちらの働きかけに、もっと反応してもらいたい。

そう思う事も多いと思います。

 ※congerdesignさんによるPixabayからの画像です。

でも、親には親の言い分があるでしょう。

子供は自我が育つと、あれこれうるさい親に、反発します。
それと同じ理屈です。

親は子供が自我を持つより、ずっと前に自我を持ち、その自我で生きて来たのです。

その自我が尊重されていないと感じると、当然反発します。

あからさまに嫌な態度を、取る事もあります。

ニコニコして、ハイハイと言いながら、全然違う事をしたりもします。

また、子供に素直に感謝できない、親もいると思います。

ありがたいとは思っていても、それを態度に見せる習慣がなくて、あまり反応を示さないのかも知れません。

誰もが自分の基準で、物事を判断しようとします。

自分だったら、絶対こうするのに。
こうするのが普通でしょ。
何でこんな事が、わからないんだろう。

こんな風に、考えるのではないでしょうか。

しかし誰かが、何らかの態度を見せる時、そこにはその人なりの、理由があるのです。

それを探るには、その人の生い立ちを、知る必要があります。

 ※Willgard KrauseさんによるPixabayからの画像です。

本人に語ってもらうのもいいですが、人に喋りたくない事もあるでしょう。
そういう所は、その時代や状況を知っている人に、話を聞いて補完するのです。

どういう時代に生まれたのか、どんな境遇で育ったのか、どんな人たちと一緒にいたのか。

そういう要素が、その人の性格や物の考え方を、作って行くのです。

無愛想で、何をしてあげても、喜ばない人。
話を聞いているようで、全然聞く気がなさそうに見える人。
すぐに偉そうに、上から物を言う人。

みんな一見すると、勝手にしたらと言いたくなるような、人たちです。
でも、その人たちが生まれ育った背景を知ると、全然違う人物に見えて来ます。

今表に出している態度は、心の奥底の本音とは、全然違うものである事も、多いのです。

その人の本当の気持ち、本当の想いに触れてみて下さい。

その気持ちを隠そうとして、反発されるかも知れません。

だけど、誰にも言えない気持ちに、気づいてもらえるのは、とても嬉しい事なのです。

子育てに厳しかった親。
全然、子供に関心を向けなかった親。
子供を自分の手元から、離そうとしない親。

子供からすれば、とんでもない親も、世の中にはいます。

でも、親はこうあるべきなのに、とは考えないで、親の境遇を調べてみて下さい。

目の前にある性格や姿は、外から加えられた要素で、作られたものなのです。

外見の下に隠された、親の本当の姿を、見てあげて下さい。

それは、親を低く見ることではありません。
親に同情する必要もありません。

ただ、そのままの姿を、受け入れてあげるだけです。

 ※Ulrike MaiさんによるPixabayからの画像です。

親との関係が上手く行かない人は、自立した後でも、自分は親から愛されなかった、という思いで、苦しむ事があると思います。

でも、親の本当の姿を理解することで、自分が愛されてなかったわけではないと、知る事ができるでしょう。

それは、その人の心の傷を癒やすばかりでなく、その人を本来の輝きに満ちた存在に、導いてくれます。

年老いた人とは、単に世話が必要な人なのではありません。

その人なりの生き方を、貫いて来た人なのです。

価値観の違いなどはありますが、長い人生を生きて来られたというだけでも、尊敬に値すると思います。

ただ、その中で自分の本当の想いを、ひた隠しにして来た方は、誰かがその想いに触れて、表に出してあげると、いいと思います。

そこには、お世話や介護という言葉は、不適当なものとなるでしょう。

隠していた思いを出せた人も、それをお手伝いした人も、どちらも光輝く時なのですから。

 ※monicoreさんによるPixabayからの画像です。