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エッセンシャルワーカー2

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 ※ヒロミ オガワさんによるPixabayからの画像です。

エッセンシャルワーカーという、言葉の意味を理解できるのは、その仕事に助けられている人たちです。

簡単に言えば、一人一人の市民であり、消費者です。

でも、エッセンシャルワーカーを雇っている、企業のトップの人たちは、どうでしょうか。

自分たちの下で、働いてくれている従業員に、感謝しているかと言うと、そうでもないように思えます。

もちろん、従業員と一丸になって、世のために頑張る経営者もいるでしょう。

しかし、こんな状況にあっても、命を張っている従業員に対して、ねぎらいの気持ちを持たないトップもいるようです。

こういう心ない経営者の会社は、いずれは潰れるか、経営者が変わる事になるでしょう。
時代は今、そういう流れにあります。

それとエッセンシャルワーカーという言葉に関して、もう一つ思うところがあります。

世の中が危機に瀕している時でも、止めるわけにはいかない仕事。

そういう意味では、先に述べた職種の人たちを、エッセンシャルワーカーと呼ぶのは、正しいと思います。

しかし、他の仕事が必要不可欠ではないと、受け止められるのだとすると、この言葉の使用には注意が必要です。

たとえば、感染を広めないために、スポーツや芸術関係の仕事は、活動が制約されます。

つまり、これらの仕事は、必要不可欠ではないという扱いです。

多くの飲食業の店も、自粛を迫られて、店を畳んでしまった所が、少なくありません。

だからと言って、社会が立ち行かなくなるわけでなければ、これらの仕事もエッセンシャルワーカーには、該当しないのでしょう。

 ※SplitShireさんによるPixabayからの画像です。

それでも、スポーツや芸術の仕事は、人々に夢や喜び、希望を与えてくれます。

活動ができない時があったにしても、それは感染防止のためであり、必要不可欠ではない、という意味ではないはずです。

逆に、今のような閉鎖的な状況においてこそ、スポーツや芸術は、その真価を発揮できるはずなのです。

事実、家から出られない人々を励ますために、歌や楽器の演奏を披露した人たちがいます。
インターネットで励ましの声を広げる、スポーツ選手たちも大勢います。

人々は彼らの活躍を待ち望んでいます。
だからこそ、彼らの励ましが、胸に響くのです。

私に言わせれば、スポーツや芸術の仕事も、エッセンシャルワーカーです。

 ※S. Hermann & F. RichterさんによるPixabayからの画像です。

今はスポーツも無観客や、観客を制限しながら、活動が再開されています。

しかし、今後のコロナ感染の状況次第で、どうなるかはわかりません。

それでも短絡的に、全てを中止するというのではなく、工夫をしながら、活動を継続できるような、努力をして欲しいと思います。

本人たちが感染を恐れて、やりたくないと言うのであれば、中止することに問題はありません。

しかし、みんなが仕事をしたいし、それによって人々に希望を与えたい、と言うのであれば、万全の体制を整えて、仕事をするべきでしょう。

そのための知恵を絞れば、コロナ騒ぎとは関係なく、素晴らしいアイデアも、出て来るかも知れません。

イメージというものは、大切なものです。

必要不可欠でないと言われれば、それがだめになっても仕方がないと、思われてしまいます。

しかし、必要不可欠だと認められれば、人は何とかそれを、守ろうと考えるでしょう。

国や自治体や企業、あるいは個人からも、支援が集まりやすくなると思います。

会場も、どうせ使わないのであれば、無収入になるのですから、利益を求めずに、貸し出せばいいのです。

その運営が大変になるのなら、それも国や自治体が支援をするべきでしょう。

 ※abdulla binmassamさんによるPixabayからの画像です。

飲食業にしても、自粛が終わった頃に、大半が潰れてなくなっていたら、どうするのでしょうか。

食事もまた、人間にとっては大いなる喜びです。

お客の喜ぶ顔を見るのが嬉しくて、仕事を続けていた方も、多いと思います。

そんな想いでやっていた仕事が、必要不可欠ではないと見なされたら、どれだけ悲しいことでしょう。

こういう方たちの支援として、国は税金の支払いを遅らせてもいいようにすると、言っていたと思います。

でも、遅らせるのではなく、免除にしてあげるべきでしょう。

あとで二倍の税金を払えと言われると、経営が持ち直したとしても、それでまた打ちのめされてしまいます。

国会議員の先生方は、全員が3ヶ月ほど、資産も給料も特権も、全てを取り上げられて、自力で生きるという経験を、するべきだと思います。

保証を求めても、誰も助けてくれず、税金の免除もしてもらえない。

使える貯金もなく、明日をどうやって生きればいいのか、わからない。

そんな経験をしてみれば、もう少し国民に思いやりのある対策を、考えることができるのではないでしょうか。

いずれにしても、全ての人、全ての業種を、これまでどおりの状態に戻すのは、無理だと思います。

問題は今の経済システムにありますから、これを改善しない限りは、根本的な解決にはつながりません。

それでも困っている人に、何がしてあげられるのかを、国は考えることができるはずです。

いい案が見つかれば、それを国民に、呼びかけることもできるでしょう。

しかし、自らの責任を果たさずに、国民の善意にすがるようでは、説得力がありません。

それこそ、自らも血と汗を流しながら、努力する姿勢を、見せる必要があります。

何より、エッセンシャルワーカーから、外されている仕事に対しても、あなたたちの仕事も、エッセンシャルワーカーなのですよと、認めてあげて欲しいです。

自分たちは必要不可欠ではないのだと、相手に思わせてしまうようなことは、絶対に避けて欲しいと思います。