エッセンシャルワーカー1
今日は終戦記念日です。
毎年、この時期になると、戦争の悲惨を訴えるドラマや番組が、毎日のように放送されます。
過去の過ちを、繰り返さないということでは、大きな意味はあると思います。
特に、戦争を直接経験したことのない者にとって、これらの情報は貴重なものです。
しかし、過去のことばかりを強調しているうちは、新たな未来を迎えることは、むずかしいと思います。
確かに、過去のあの出来事は、繰り返すべきではない。
では、これからはどうすればいいのだろうか。
こういう感じで、過去についての反省を、未来に結びつけることが大切です。
しかし、政府もテレビ局も、まるで毎年のイベントのように、同じことを繰り返すばかりです。
未来に向けての、具体的なビジョンやメッセージを、国民に示してはくれません。
逆に言えば、そういう事は、私たち一人一人の国民が、自分たちで考えて、自分たちでメッセージを、発信して行かねばならない、ということなのかも知れません。
ただし、経験もなければ専門的知識もない人が、いろいろ考えていくためには、それなりの環境が必要でしょう。
同じ環境に置かれていても、何かに気づく人もいれば、何も気づかない人もいるはずです。
気づかない人には、気がつきやすくなるような、支援を考えるべきです。
そして、その人が気づくまで、待ってあげるだけの、心の余裕が欲しいところです。
ところで、今日は久しぶりに家内と二人、お気に入りのカフェで、モーニングを食べました。
正確に言えば、モーニングではなく、食べたい品とコーヒーを単品で頼みました。
お盆期間中なので、お店が開いているか、わからなかったのですが、行ってみると開いていたので、ラッキーでした。
昔からある老舗のカフェで、とても雰囲気のあるお店です。
このお店で食事をしながら、家内との話に出て来たのが、エッセンシャルワーカーです。
エッセンシャルワーカーとは、社会に必要不可欠な労働者、という意味です。
昔はなかった言葉ですが、コロナ騒ぎをきっかけにして、広まったようです。
どういう職種に対して、使うのかと言うと、コロナ騒ぎのような状況においても、誰かがやらないと、世の中が立ち行かなくなってしまうような、とても大切な仕事に使うようです。
たとえば医療関係や、電気・ガス・水道関係、食料品店、必需品の製造業や運搬業、土木建築業、それと警察や消防などの治安関係のようです。
当然、自衛隊もエッセンシャルワーカーに属します。
この言葉が出て来た背景には、普段はあまり注目をされない所で、社会を支えてくれている人たちへの、敬意の念があります。
それは裏返せば、これまではほとんど、そういう人たちへは敬意が、払われていなかった、ということでもあると思います。
炎天下の中、汗水流して働いている、日雇いの工事現場の人が、いたとしましょう。
人によっては、そいういう人たちを、社会的に低い者として、とらえています。
その人たちの価値観では、たくさんのお金を、楽をして稼ぐことが、いいのです。
しかし、工事をしてくれる人がいるからこそ、私たちは安全快適に、道路を通ることができます。
また、いろいろな建物を、利用することもできるわけです。
今の日本を作ったのは誰か、と問われると、土木建築関係の人たちですと、私は答えます。
大阪城を築いたのも、豊臣秀吉ではありません。
大工の棟梁と、棟梁を手伝った農民たちです。
工事に携わっている人たちは、一人一人は、ちっとも有名ではありません。
その仕事で、大金持ちになれるわけでもありません。
それでも、その人たちが黙々と働いてくれたお陰で、人々は快適な暮らしが送れるわけです。
そういう事を理解した上で、汗まみれになって働いている人を見たら、どうでしょう。
感謝とねぎらいの気持ちこそ持っても、その人たちを低く見ることなど、決してないはずです。
でも、それは肉体労働の人に対して、だけではありません。
どの業種の仕事に対しても、言えることなのです。
その人の苦労や、仕事への想いを理解すれば、自ずと頭が下がるでしょう。
特に危険な状況においては、尚更です。
エッセンシャルワーカーという言葉は、そういう想いから、生まれた言葉なのです。