私という存在 その3
私たちは物質世界に暮らし、この世界が唯一の現実世界だと、そう信じて生きています。
もし、この世界とは別の世界があるとすると、こちらの世界を基準にして、もう一方の世界を理解しようとします。
人は何かを理解しようとする時、自分を基準にして考えます。
私は今、四国の松山で暮らしていますから、北海道と言われると、松山から飛行機で、どのくらいだろうかとか、松山と比べて、どれほど寒いのだろうか、などと考えます。
それと同じで、別の世界を想定した時、私たちは自分が存在している、こちらの世界を基準にして考えます。
でも、それは当然のことと、言えるでしょう。
しかし、よく考えてみると、自分という存在は、肉体ではなく心なのです。
その心は精神エネルギーであって、物質エネルギーではありません。
物質エネルギーによって創られた、この世界に属しているのではないのです。
私という存在は、精神エネルギーであり、物質エネルギーで創られた、この世界とは別の世界に、属しているわけです。
普段、私たちはこちらの世界の、情報の中で暮らしています。
ですから、自分が物質世界に属していると、考えてしまうのですが、そうではないのです。
私たちが本当に属しているのは、精神エネルギーの世界なのです。
何かを理解する時に、自分を基準にするのは、既に述べたとおりです。
世界について考える時、私たちの立ち位置が基準になります。
そして、私たちが存在しているのは、こちらの世界ではなく、もう一方の世界なわけです。
それは、いわゆる、あの世と呼ばれる世界のことです。
私たち生きている人間の心は、肉体という物質世界との、接点を持っています。
死んだ人というのは、その接点を失った者たちのことです。
生きていようと死んでいようと、私たちは心の存在として、同じ世界に属しています。
だから、死んだ人の声が聞こえたとしても、少しも不思議ではありません。
ただ、肉体的に覚醒している間は、意識はこの世界の情報に、集中しています。
ですから、横から死んだ人が話しかけたところで、普通は何も聞こえないでしょう。
生きている私たちも、実はあの世という世界に、属していると想定してみて下さい。
そう考えると、世界について考える時の立ち位置を、この世からあの世へと、移す必要があります。
私たちはあの世にいて、まず、この世との接点を見つけるのです。
それが、この世界における誕生です。
自分の身体を得た私たちは、その身体を通して、この世を知り、体験します。
それでも私たち自身は、あの世に留まったままです。
言ってみれば、ゲーム機でバーチャル世界を、体験しているようなものです。
バーチャル世界のゲームをしている時、その世界の一つのキャラクターが、私であり、あなたなのです。
その場合、そのキャラクターの中に、あなたが宿っているとか、存在しているとは、考えませんよね。
あなたはゲームをしながら、自分がこちらの世界にいることを、認識しています。
それと同じで、私たちの心は脳に宿っているのではなく、脳を通して物質世界を体験しているだけです。
私たちが存在しているのは、精神エネルギーの世界なのです。
映画の「マトリックス」の世界だと思えば、わかりやすいでしょう。
「マトリックス」では、現実だと思っていた世界の正体が、夢のようなイメージということになっています。
本当の自分は、物質世界に存在していて、眠った状態にあるのです。
これは物質世界こそが現実世界であるという、固定観念からの発想でしょう。
あなたが本当に存在しているのは、その逆なのです。
あなたが存在しているのは、物質世界ではなく精神エネルギーの世界です。
では、その精神エネルギーの世界とは、どんな所なのでしょうか。
物質世界では、自分の身体というものがあるので、自分と自分でないものを、区別できます。
しかし、身体がなければ、その区別が出来ません。
つまり、精神エネルギーの世界では、自分という存在が、曖昧になるのだと思います。
複数の人格があっても、実は全員が同じ存在、つまり自分なのかも知れません。
もう、考えるのも嫌になりそうですね。
この続きは、また別の機会に。