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私という存在 その3

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 ※Stefan KellerさんによるPixabayからの画像 です。

私たちは物質世界に暮らし、この世界が唯一の現実世界だと、そう信じて生きています。

もし、この世界とは別の世界があるとすると、こちらの世界を基準にして、もう一方の世界を理解しようとします。

人は何かを理解しようとする時、自分を基準にして考えます。

私は今、四国の松山で暮らしていますから、北海道と言われると、松山から飛行機で、どのくらいだろうかとか、松山と比べて、どれほど寒いのだろうか、などと考えます。

それと同じで、別の世界を想定した時、私たちは自分が存在している、こちらの世界を基準にして考えます。

でも、それは当然のことと、言えるでしょう。

しかし、よく考えてみると、自分という存在は、肉体ではなく心なのです。

その心は精神エネルギーであって、物質エネルギーではありません。

物質エネルギーによって創られた、この世界に属しているのではないのです。

私という存在は、精神エネルギーであり、物質エネルギーで創られた、この世界とは別の世界に、属しているわけです。

普段、私たちはこちらの世界の、情報の中で暮らしています。

ですから、自分が物質世界に属していると、考えてしまうのですが、そうではないのです。

私たちが本当に属しているのは、精神エネルギーの世界なのです。

何かを理解する時に、自分を基準にするのは、既に述べたとおりです。

世界について考える時、私たちの立ち位置が基準になります。

そして、私たちが存在しているのは、こちらの世界ではなく、もう一方の世界なわけです。

それは、いわゆる、あの世と呼ばれる世界のことです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像 です。

私たち生きている人間の心は、肉体という物質世界との、接点を持っています。

死んだ人というのは、その接点を失った者たちのことです。

生きていようと死んでいようと、私たちは心の存在として、同じ世界に属しています。

だから、死んだ人の声が聞こえたとしても、少しも不思議ではありません。

ただ、肉体的に覚醒している間は、意識はこの世界の情報に、集中しています。

ですから、横から死んだ人が話しかけたところで、普通は何も聞こえないでしょう。


生きている私たちも、実はあの世という世界に、属していると想定してみて下さい。

そう考えると、世界について考える時の立ち位置を、この世からあの世へと、移す必要があります。

私たちはあの世にいて、まず、この世との接点を見つけるのです。
それが、この世界における誕生です。

自分の身体を得た私たちは、その身体を通して、この世を知り、体験します。
それでも私たち自身は、あの世に留まったままです。

言ってみれば、ゲーム機でバーチャル世界を、体験しているようなものです。

 ※Jazna RossiさんによるPixabayからの画像 です。

バーチャル世界のゲームをしている時、その世界の一つのキャラクターが、私であり、あなたなのです。

その場合、そのキャラクターの中に、あなたが宿っているとか、存在しているとは、考えませんよね。

あなたはゲームをしながら、自分がこちらの世界にいることを、認識しています。

それと同じで、私たちの心は脳に宿っているのではなく、脳を通して物質世界を体験しているだけです。

私たちが存在しているのは、精神エネルギーの世界なのです。

映画の「マトリックス」の世界だと思えば、わかりやすいでしょう。

「マトリックス」では、現実だと思っていた世界の正体が、夢のようなイメージということになっています。

本当の自分は、物質世界に存在していて、眠った状態にあるのです。

これは物質世界こそが現実世界であるという、固定観念からの発想でしょう。

あなたが本当に存在しているのは、その逆なのです。
あなたが存在しているのは、物質世界ではなく精神エネルギーの世界です。

では、その精神エネルギーの世界とは、どんな所なのでしょうか。

物質世界では、自分の身体というものがあるので、自分と自分でないものを、区別できます。

しかし、身体がなければ、その区別が出来ません。
つまり、精神エネルギーの世界では、自分という存在が、曖昧になるのだと思います。

複数の人格があっても、実は全員が同じ存在、つまり自分なのかも知れません。

もう、考えるのも嫌になりそうですね。

 ※Gerhard G.さんによるPixabayからの画像です。

この続きは、また別の機会に。