パラレルワールドの自分
パラレルワールドが無数に存在し、それぞれに別の自分が、存在していると考えて下さい。
全部自分ですから、それぞれのパラレルワールドを離れた所で、一つにつながっています。
本来の自分とは、パラレルワールドの外にあり、それぞれの世界を体験するのは、本来の自分の分身です。
いずれの分身の価値も対等であり、本来の自分にとって、不要な経験はありません。
どんな経験であっても、そこには経験するだけの、価値があるわけです。
さて、ここで今の自分を、振り返ってみて下さい。
自分なんか、少しも大したことはない。
自分の経験なんて、全然価値があるとは思えない。
自分の人生なんて、つまらない。
そう思う人は、結構いるのではないでしょうか。
そう思ってしまう大きな理由は、人生は一回こっきりだと、信じていることです。
一回しかない人生なのに、自分には優れた能力がないし、環境的に恵まれていない。
それを挽回するだけの力もなければ、チャンスもない。
せいぜい他の似たような人たちと、同じ程度の暮らしを、維持できるように頑張るしかない。
きっと、こんな風に考えているのだと思います。
しかし、自分には無数の分身がいるのだとすれば、違う考え方ができるでしょう。
たとえば、自分の家は貧乏で、自分自身も収入に恵まれていないとします。
この場合、お金持ちの自分は、別の世界にいるのであり、自分の人生の目的は、お金持ちであることではない、と考えることができます。
お金持ちはいいように思えるかも知れませんが、お金持ちだからこそ、体験できないことや、見過ごしてしまうことがあるのです。
そういったことを経験するために、あえてお金に縁がない人生を、送っているのかも知れません。
あるいは、お金に困っている状態から、奇跡的に大金持ちになるという、そんな成功物語が待っていることも、考えられます。
一見すると、平凡な人生には、さほどの喜びがないように、思えるかも知れません。
しかし、平凡な人生にも、多くの喜びが隠されているのです。
また、平凡という言葉でひとくくりにしたくなる人生には、人の数だけドラマがあります。
一つ一つのドラマに、同じものはありません。
という事は、実は平凡な人生というものは、存在しないのですね。
平凡という言葉が示すのは、特別目立つことがない、という意味に過ぎません。
でも、人生を満喫するために、目立つ必要はないのです。
世の中には、いろんな人生があります。
どの人生にも意味があり、価値があります。
ただ人生を歩む者が、その意味や価値に、気がつくかどうかはわかりません。
もしそうだとしても、それはそれで、大元の自分には、意味があり価値があるのです。
大元の自分は、無数の分身の人生を、全て把握しています。
今の私たちとは、理解度の次元が違います。
私たちには、よくわからない事でも、そこに意味や価値を、大元の自分は見い出せるでしょう。
私たちは、大元の自分の分身として、自分が選んだ人生を、とことん探求して満喫すればいいのです。
自分では何も考えず、周囲の価値観に振り回されっ放しでは、せっかくの人生を味わえません。
それでも大元の自分は、何らかの意味を見出すのでしょうが、せっかくの人生です。
自分の好奇心に従って、自分ならではの人生の楽しみ方を、見つけましょう。
パラレルワールドに多くの分身がいたとしても、自分が選んだこの世界は、やはり一回こっきりです。
どんな形でこの世界を終えるにしても、決して無駄なことにはなりませんし、人生の価値は残ります。
そういう意味で、人生一回こっきりという事を、悲観的に見る必要はありません。
しかし、直接人生を体験している、自分が不安な状態でいるのは、好ましくないでしょう。
ですから、一回こっきりの人生を大切に、過ごすことが大切です。
そのためには、他人の価値観よりも、自分の価値観を大事にしましょう。
他人の目を気にするのではなく、自分の好奇心に従うのです。
他人が興味を示さなくても、自分が関心を持つのであれば、そこにとことん力を注ぎましょう。
その結果が、仕事やお金に結びつくかなんて、考えてはいけません。
そこに意識を向けてしまうと、好奇心が示す方向から、ずれてしまいます。
そういう事は、あとから勝手に、ついて来るものです。
自分がやりたい事をする。
自分が生きたいように暮らす。
ありたい自分の姿になる。
考えるのは、これだけです。
人生一回こっきりという事実を、ポジティブにとらえ、自分が選んだ今の人生を、大切に育てて下さい。