子育ては種まき
子供を育てた経験がある方、あるいは現在子育て中の方は、わかると思います。
親というものは、人として大切な事を、我が子に伝えたいと考えるものです。
子供も小さいうちは、親の話を素直に聞いてくれるかも知れません。
でも思春期に入ると、親の話など聞こうとしなくなります。
どうしても楽しい事や興味を覚えた事に、気持ちが向いてしまうからです。
それに、思春期だと自分は一人前だと、考えるようになります。
いちいち小言を言われるのは、嫌なのです。
口では、わかったと言いながら、子供は注意された事を、繰り返します。
それで何度も注意されると、今度は開き直ったように、逆切れします。
子供が何でも、親の言う事に従うと、自我が育っていないのではないかと、心配になります。
でも、ちっとも言う事を聞かない子供も、心配になるものです。
おやっと思うような事をする子供が、よその子供であれば、あえて何も言わない事が、多いと思います。
しかし、その子供が我が子であったなら、きびしく咎めるのではないでしょうか。
それは周囲への迷惑や、子供の将来を考えての事です。
中には、子供が他人に迷惑をかけても、平気な親もいます。
子供の行動を見守ると言うより、子育てを放棄しているような親も、時々見かけます。
そういう親や子供を目にすると、自分の子供だけは、ちゃんとしつけようと、普通の親は考えると思います。
ところが、それで子供にうっとおしがられたり、無視されたりする事も多いでしょう。
好い加減な親を、うらやましがられたりすると、親として情けないやら悲しいやらです。
思わず子供と口論になったり、喧嘩をしたりすれば、子育てが嫌になってしまいます。
でも、自分を振り返ってみると、どうでしょうか。
若かった頃には、自分も親の言う事を、素直に聞いていなかった方が、多いのではないでしょうか。
子供なんて、こんなものだと思う事ができれば、少しは気が休まるでしょう。
それでも、どうしても親ですから、子供の事は期待もしますし、心配もします。
その事自体は、親ですから仕方がないと思います。
しかし、その気持ちを子供には、あまり見せない方が、いいのかも知れません。
期待も心配も、子供にとっては、余計なお世話でしょう。
子供の方から何か相談があれば、話を聞いてやればいいと思います。
でも、何も言われなければ、親の方からは何も言わずに、見守っていた方がいいでしょう。
子供は痛い目に遭って、育つものだと受け止めて、あれこれ注意したい気持ちを、ぐっと呑み込むのです。
また、いつか立派になった子供の姿を、見てみたいと思うでしょう。
でも、そこもこだわるのは、やめましょう。
親が生きている間に、子供が立派になるとは限りません。
親が死んだ後からでも、とにかく子供が本当の一人前になったなら、それでよしとするのが、いいと思います。
親が子供に対してできるのは、子供が一人前の人間になるための、知恵の種まきだけです。
まいた種がいつ発芽して、大きく育って、花や実をつけるのか、それはわかりません。
同じ兄弟姉妹でも、一人一人が違う人間です。
同じように種をまいても、種の育ち方が違うのです。
それに、まいた種自体が、実は不良品だったという事も、有り得ます。
自分では最高だと思っていた種が、時代の流れに合わないものに、なる事もあるのです。
いずれにしても、いい質の種とタイミングがあれば、きっと花は咲くでしょう。
運がよければ、その花を見せてもらえるかも知れません。
でも死ぬまでに、花を見られない可能性もあります。
それでも大切なのは、子供が花を咲かせる事です。
それを親が確かめる事が、大切なのではありません。
花が見られなくても、がっかりする必要はないのです。
親は自分がまいた種が、いつか必ず、きれいな花を咲かせると信じて、子供を見守るだけでいいのです。
そもそも自分自身の花が、どうなったのかも、定かではないでしょう。
私たちにも親が、種をまいてくれたはずです。
その種は今の時代に、合わないものかも知れません。
でも、その種をまいてくれた親の気持ちは、理解ができると思います。
親がまいた種が、花を咲かせる事がなかったとしても、問題はありません。
自分を想ってくれた親の気持ちは、私たちの心の中に、きれいな花を咲かせているでしょう。