> 社会 > 健康・医療・食事 > 食べるということ

食べるということ

この記事は5で読めます。
 ※白いねこねこさんによるイラストACからの画像です。

植物は根から水やミネラルを吸収し、光合成によってでんぷんを作ります。

動物は植物のように、自らエネルギーを作れませんから、植物を食したり、他の動物を食することで、エネルギーを取り込みます。

植物は大地、水、大気からエネルギーを取り込んでいます。

それを、大地、水、大気を食していると、見る事はできるでしょう。

しかし、食べるという言葉のイメージからすると、食すると言うより、エネルギーを取り込んでいるという、表現の方が適切のように思えます。

 ※Alexas_FotosさんによるPixabayからの画像 です。

一方、動物が植物や、他の動物を食べる場合、これも実はエネルギーを、取り込んでいるだけなのですが、こちらは食べるという表現が、しっくり来るでしょう。

それは、昔からそういう表現をしているから、というのはあるでしょう。

でも、それだけではなく、食べると言った場合、他の生き物の命を、奪い取るという意味合いが、含まれているのだと思います。

人は大地や水、大気を生物とは見なしていません。

ですから、そこからエネルギーを取り込んでも、大地や水、大気を食べているとは考えないのです。

人間も含めた動物は、大気から酸素を取り込んでいますが、酸素を食べるとは言わず、呼吸をしていると表現します。

魚は水中の酸素を、鰓から取り込みますが、これもやはり呼吸です。
酸素を食べるとは言いません。

とにかく、食べるという言葉は、他の生き物の命を奪い、その体の成分を、消化器から吸収するという意味になるのです。

しかし、植物を食べる場合、その植物の命を奪っているというという、イメージが少しぼやけてしまいます。

何故なら、植物は動物のように一つの個体を、限定する事がむずかしいからです。

動物は手足や首をもがれると、死んでしまいます。

しかし、植物は枝を切られても、死にません。

草は土から上の部分を食べられても、下から新しい芽が伸びて来ます。

樹木の幹を切ると、その切り口からも、新しい芽が出て来ます。

切った枝を地面に挿しておけば、枝から根が出て生長します。

 ※ mihomiho7さんによる写真ACからの画像です。

植物は動物と構造が違いますから、個体の判別や、死の定義が違うのです。

動物は一つの個体に、一つの意識があるとみなせます。

でも、植物の場合は、全体で一つの意識を持つと、考えるのが適切のように思えます。

一本一本の草木は、全体の一部であり、生長したり枯れたりするのは、全体の一部が変化しただけとみなせます。

ですから、動物が植物を食べた所で、植物を殺したとか、植物の命を奪ったという表現は、正しくないでしょう。

植物を食べる場合は、植物から養分を分けてもらっていると、受け止めるのがしっくり来ます。

別の言い方をすれば、植物から自然の恵みをもらっている、という表現になるでしょうか。

同じ食べるでも、植物を食べるのと、動物を食べるのでは、受け止め方が違うのです。

動物が、植物や他の動物を食する場合、相手に命があるなどとは、考えていないでしょう。

生まれ育った間に、相手を餌だと学習したので、食べているだけです。

しかし、人間は違います。

植物が生物である事を理解していますし、肉となった動物が、生きていた時の姿を知っています。

ただ、食べる事に夢中の人は、食材は食材としか見ないでしょう。

知識としては、それらが生物であった事を知っていても、そこに目を向けたりはしません。

 ※Thorsten FrenzelさんによるPixabayからの画像です。

でも、目を向ける人は、次第に肉を食べるのが、嫌になるかも知れません。

それは、動物が自分と同じ生き物なのだと、認識したという事でしょう。

生き物だと認識しても、肉の味を堪能し続ける人は、当然いると思います。

しかし、そんな人でも、命について深く考える機会があると、肉を避けるようになるかも知れません。

肉を食べないのであれば、自然と植物中心の食事になるでしょう。

初めは仕方なく始めた菜食でも、いつかは植物というものについて、考えるようになると思います。

そうなると、これは自然からの恵みなのだと、理解するようになります。

みんな同じ生き物であり、自然からの恵みで、命を紡いでいる。

その事を、初めは頭で理解するでしょう。

でも、やがて体でそれを感じるようになり、自分が世界の全てと、つながっているような感覚を、覚えるようになると思います。

それは超能力のような、派手さはありません。

静かで控えめで、別にどうって事ないようなものでしょう。

それでもそれは神秘的な経験です。

他のものとのつながりを、理屈で理解するのではなく、感覚で知るのです。

淡い感覚かも知れませんが、そのインパクトはとても大きいと思います。

それは世界や自分というものを、深く考えるきっかけになるでしょう。