世界と集合意識 その2
夢や想像の世界で、いろんな人物をイメージするとしましょう。
私たちは、それぞれの人物の性格を、一人一人把握することができます。
同時に全体の人間関係や、それぞれの動き、生活環境などを、想定することもできますよね。
あなたが設定した舞台の中で、いろんなキャラクターたちが、動き出します。
あなたは、その様子をじっと眺めています。
今のあなたが、集合意識だと思って下さい。
キャラクターたちは、私たち一人一人の人間です。
わかりますか?
集合意識は、私たちに共通の舞台を設定し、その中での様々な物語、つまり人生を、私たちを通して体験するのです。
何のために?
人類の集合意識は、知性体です。
私たち一人一人は、集合意識の触手のようなものです。
そもそも集合意識という言葉が、私たちを中心にしたものです。
でも、集合意識の立場で見れば、私たちの意識は、末端意識と表現されるべきなのでしょう。
集合意識という表現をとると、それがどんな意識なのか、イメージがしにくいと思います。
私が集合意識という言葉を使っても、それは一つの知性体だと考えて下さい。
私たちより、遥かに多くのことを知り、理解できる、優れた知性体です。
数え切れないコンピューターを接続した、スーパーコンピューターのようなものです。
接続された一つ一つのコンピューターが、私たちです。
知性体である集合意識は、知性体として成長しようとします。
私たちがいろいろ体験するのは、全て集合意識が知性体として、進化して行くためのものなのです。
すなわち、私たちの人生とは、高い知性を得ることを、目的としているのです。
そのため、集合意識は無意識を通して、私たちの意識に、高い知性を得るように働きかけます。
ただ、意識は自由に思考し、何をどうするのかを、決定することができます。
どうしてこの世界に生まれて来たのか、知りませんから、環境に流されてしまいがちです。
無意識が懸命に指示を与えても、意識の方は目の前の出来事に、夢中です。
無意識の指示など、なかなか気がつきません。
それでも無意識は、ずっと指示を与え続けます。
そうしているうちに、無意識の言葉に、気がつく意識が現れます。
その意識は高い知性を、持つようになります。
高い知性とは、私たち人類が同じ一つの存在なのだと、気づく力のことです。
高い知性は差別をしません。
自分さえよければいいという、発想はありません。
お互いを理解し合い、助け合おうとします。
物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさを求めます。
下心なしに、困っている人に、手を差し伸べます。
人間以外の生き物たちにも、慈悲の心を向けます。
高い知性を持つ人物が、存在感を増した時、集合意識では知性体としての成長が始まります。
それは植物の種が、発芽するようなものです。
植物は種の間は、何の変化もありません。
同じ姿で、じっとしています。
しかし、土に埋められ、水や光が与えられたら、ちゃんと芽を出し、育って行きます。
植物の種は、発芽のタイミングを待っているのです。
そして、発芽した後も、植物は自分が育つ方向がわかります。
それと同じように、人類の集合意識も、知性体として成長します。
どのタイミングで発芽するのか、発芽した後、どの方向へ進化するのか、そういう事もわかっているのです。
今、無意識の指示を、きちんと受け止めている人が、増えているように思います。
それは高い知性の人が、増えて来ているということです。
また、それは集合意識の知性が、上がって来ているという意味でもあります。
集合意識の知性が上がると、集合意識が設定している世界の様子も、変わって来ます。
すなわち、世界の雰囲気に、知性が感じられるようになるのです。
一度発芽して、成長を始めた植物が、元の種に戻ることはありません。
それと同じで、一度成長を始めた集合意識は、せっかく手に入れた知性を、手放すことはありません。
逆に、さらに高度な知性を求めて、ぐんぐん成長して行くのです。
知性の低い者たちは、これまでどおりの世界を、保とうとするでしょう。
しかし世界そのものが、変わろうとしているのです。
全ては無駄な足掻きとなるでしょう。
そして、世界は間違いなく、愛と喜びに満ちたものに変わるでしょう。