どう受け止めるか 1
世の中には、楽しい事も嫌な事もあります。
それは、私たちの世界観に、大きく関与します。
楽しい事ばかりだと、世界はとても楽しい所だと、思うでしょう。
でも、自分が楽しんでいる陰で、誰かが泣いているかも知れません。
嫌な事ばかりでは、世界はとても嫌な所だと、感じるに違いありません。
でも、悩む自分の後ろで、誰かが懸命に、支えてくれているかも知れないのです。
世界を楽しい所と考えるか、嫌な所だと受け止めるのか。
それは自分の意識の焦点を、どの部分に当てるかで、変わって来ます。
ある部分にだけ、焦点を当てるのか。
もっと広い範囲に、目を向けるのか。
自分に直接関係する所だけを、考慮するのか。
自分とは無縁に見える人たちの事も、考えるのか。
将来を、限定的に思うのか。
いろんな可能性が、秘められていると受け止めるのか。
何をどのように見て、どういう風に考えるのかで、世界は全く違ったように見えます。
本来、物事に意味はありません。
いいも悪いもなく、中立です。
世界はニュートラルの状態であり、それをどのような立場で、どんな意味づけをするのかは、人によって様々です。
そのため、同じ状況にあっても、落ち込む人もいれば、笑う人もいるのです。
どちらが正しいという事ではありません。
それは、その人の受け止め方によるだけで、どう受け止めるかは、本人の自由です。
ただ、本人の自由という言葉の裏には、英知の度合い次第という、意味が隠されています。
要するに、物事を深く考える人と、軽く見る人とでは、同じ状況にあっても、判断が異なって来るという事です。
物事を広い視野でとらえ、深い洞察力を持つことは、人間としての成長を意味しています。
何故なら、人間は知性を発達させる存在だからです。
だから子供は、どんな事に対しても、何で何でと知りたがるのです。
好奇心は新たな発見につながり、新しい知識や情報、感情や感覚は、その人の世界観を、大きく広げてくれます。
それは人間の自然な姿であり、人としての成長過程なのです。
ただ、人によって成長過程はまちまちです。
同じ地域、あるいは同じ年齢であっても、一人一人成長速度や、成長度合いが異なります。
それは自然な事であり、成長速度が遅くても、いずれはちゃんと成長するわけです。
深い洞察力に基づいた英知を、他の人へ伝える事ができたなら、その人の成長を大きく促す事になるでしょう。
しかし、英知を受け取るためには、それなりの準備が必要です。
まだ準備が整っていない人は、英知を示しても、理解する事ができません。
それは、その人の成長度合いが、まだそれぐらいだという事なのです。
どんなに急かしたところで、どうにもなりません。
物事には順序があるのです。
理解ができない相手に対しては、腹を立てがちになりますが、腹を立ててもどうにもなりません。
今、理解ができなくても、その時が来れば、必ず理解できるのです。
成長する植物が、いつかは花を咲かせるのと同じです。
それまでは待つしかありません。
待てないとすると、それは自分自身の中に、道理への無理解と、自分は優れているという傲慢さが、潜んでいるという事です。
相手を見下す気持ちが出て来るうちは、自分自身が英知を手に入れたとは、言えません。
本当の英知を持っている人は、どんな人も中身は自分と同じだと、理解しているからです。