あの世と幽霊 その1
日本では、死んだ者の魂は、あの世へ行くと、伝えられて来ました。
ほとんどの人が子供の頃に、そんな話を聞かされたのではないでしょうか。
でも、子供はあの世と言われても、よくわかりません。
喋っている大人だって、何も知らないまま話すのですから、仕方がありません。
ただ、大人も子供も、この世は自分たちが生きている世界で、あの世は死んだ者がいる世界だと、受け止めています。
宗教的な話はともかく、人の心を精神エネルギーととらえたならば、そのエネルギーが消滅する事はありません。
エネルギーは変化をする事はあっても、消え去る事はないのです。
生きているというのは、心と肉体が結びついている状態を言います。
死ぬというのは、この結びつきがなくなる事です。
肉体の方だけ見ていると、心が消滅したように思えます。
しかし、肉体から解放された心は、それまでとは別の状態で、存在しています。
つまり、この世とあの世という考え方は、間違いではないと言えます。
科学がこれほど発達した現在でも、世界の本当の姿は、理解できていません。
遥か昔の人たちが、世界がこの世だけではないと考えただけでも、すごい事だと思います。
ところで、肉体とのつながりを失った心は、その後、どこへ行くのでしょうか。
昔風の言い方で、あの世と呼ばれる領域へ、移るのだとすると、幽霊という存在は、どう説明できるのでしょう。
死んだ者がみんな、あの世へ行くのだとすると、幽霊の存在は、その説明とは矛盾する事になります。
それについて、幽霊が存在するのは、この世に未練があるからだと、説明されています。
つまり、未練なく亡くなった人は、すんなりとあの世へ移行し、未練を持った人は、この世に留まって、幽霊になるというわけです。
この場合の幽霊は、はっきり姿を現す者だけではなく、音や気配だけの者も含みます。
確かに、幽霊の話がある所には、悲惨な事件や事故が、付きもののように見えます。
思いがけない死や、恨みや悲しみを抱いた死は、死者が幽霊になる要因かも知れません。
ただし、例外もあります。
死の研究で世界的に有名な、故キューブラー・ロス博士は、その著書の中で、幽霊との遭遇について語っています。
それは日中、ロス博士が仕事をしていた時の事です。
廊下を歩いていたロス博士の前に、一人の女性が現れます。
その女性はロス博士の患者で、その時には既に亡くなっていました。
この女性はロス博士に、お世話になったお礼が言いたくて、現れたと告げました。
彼女の見た目は、生きている人間と全く変わりません。
ロス博士は、女性が自分の妄想ではない証拠を、示して欲しいと頼みました。
女性はそれを承諾し、ロス博士が持っていた書物に、ロス博士のペンで、サインをすると、すっと消えてしまいました。
女性がいなくなった後も、ロス博士の書物には、女性のサインが残されていました。
この女性の幽霊は、ロス博士にお礼を言うために、現れました。
悲惨な事件や事故の、被害者ではありません。
ただ、何としてもロス博士に、感謝を述べたいという、一念があっただけです。
この一念も、一種の未練と考える事はできます。
ただし、この未練は、実際にロス博士に会って、お礼を述べる事で、果たせる未練です。
ロス博士に感謝をした事で、未練がなくなった女性は、あの世へ移行ができたのでしょう。
一方で、果たしたくても果たせない、未練を持った幽霊は、その未練に引っ張られ、この世を去る事が、できずにいるのかも知れません。
自分の思いが、自分の状態を決める。
それが幽霊から知る事のできる、真実ではないでしょうか。