親子関係 その1
親と子、そのつながりは、とても強いものです。
それ故、他人と同じような人間関係は、なかなか構築できません。
友だちのような親子と、言われる人たちもいます。
だけど親も子も、本当の友だちとは、少し違います。
お互いの接し方には、相手への甘えがあります。
他の人では、許されないような言動も、親子では許されてしまいます。
もし、全く甘えがなければ、親子とは言えないかも知れません。
血はつながっていたとしても、相手を親や子と思えなければ、少し寂しく思うのではないでしょうか。
甘える姿は、他人には見せないものです。
その姿を見せるのは、相手に心を許しているという事です。
それは、相手が無条件に、自分を受け入れてくれているという、安心感でもあります。
そのため、自分のわがままを、何でも聞いてもらえるように、誤解してしまうのです。
こういう甘えは、たいてい子供が親に見せる甘えです。
こんな親子は一見、仲が良くて愛情たっぷりの、親子に見えるかも知れません。
しかし、何でもしてもらうのが、いつまでも当たり前のままでは、親に対する感謝の気持ちが、育ちにくいとも考えられます。
下手をすれば、親を小間使い程度に、見下す場合もあると思います。
親の役目は、愛する子供が、一人の人間として、自立して生きて行けるように、導いてやる事だと、私は考えています。
完全に突き放して、知らんふりをするのはいけませんが、何でもかんでもしてやるのも、間違っていると思います。
どんなに仲が良くても、親を敬愛する気持ちを、持てるように教えないといけません。
また、子供は何でもできるはずだと、子供を信じて見守ってやるだけの、度量も親には求められます。
そうは言っても、子供のやる事に口を出してしまうのは、親の常だと思います。
このままだと、どうなるかが見えてしまうと、どうしても言いたくなるのです。
かく言う私も、よく口出しをして、反発をされました。
でも今は、たとえ痛い目に遭うのがわかっていても、痛みを経験する事で、子供は成長するのだと、自分に言い聞かせています。
命に関わる事などであれば、意見を述べざるを得ません。
しかし、死ぬわけでないのであれば、あえて黙っているという、選択をするようにしています。
きっと子供はだめになると、諦めの目で見るのではありません。
落ち込んだ後に、もっと強く賢くなって、立ち上がるだろうと、期待を込めて見守るのです。
全ては本人の責任ですから、自由にする事は認めてやります。
しかし、親への甘えは認めません。
自分がやるべき事をやるからこそ、本当の自由が手に入るのです。
それは、仕事のことだけではありません。
家事の手伝いも、そうです。
一方的に、してもらうばかりでは、自立の妨げになってしまいます。
子供は親に対する甘えを、なくす努力をしないといけません。
親は子供を自分の一部、あるいは所有物のように思わず、一人の人間、人格を持った存在だと、認めるべきです。
子供には子供の人生があるわけで、自分の希望や価値観を、押しつけてはいけません。
若い頃に自分ができなかった事を、子供にさせたいと思う親もいるでしょう。
子供にさせてみるのは、構わないと思います。
でも、自分がやりたかったのであれば、今からでも自分がやればいいのです。
自分はもう年だからとか、今更そんな事などと、言うのはよくないです。
自分で自分を制限しては、人生を捨てるのと同じです。
上手にできるかどうかではありません。
楽しめるかどうかなのです。
自分がやりたかったと思うのであれば、今からでも自分でやるべきです。
それを子供に、押しつけてはなりません。
他人同士であれば、見せられる気遣いを、親子の間でも示す事ができれば、いいと思います。
さらに、他人とは違う大切さを、再確認するのがいいでしょう。
相手が亡くなった時に、初めて相手の大切さに気づくのは、愚かな事です。
生きている間に気づき、その想いを行動で示すべきなのです。
相手を大切に想っているのであれば、言われて動いたり、義務で動いたりするのではなく、自分の気持ちで動くでしょう。
自分が疲れていても、相手の体を気遣い、自分にできる事は何でもします。
そういう行動が示せる人たちは、家族の一員として、お互いに対等になります。
それでも親への敬愛や、子供への愛情は、なくなるものではありません。
そんな親子関係を、築くことができれば、とても幸せなことだと思います。