何故、今ここにいるのか
これは、どの時代の人にも、言える疑問だと思います。
何故、自分は今、ここにいるのか。
どうして、他の時代ではないのか。
どうして、他の家、他の国に生まれなかったのか。
たまたま、そうなったと考える事もできます。
でも、そこに何か必然的な理由が、存在するに違いないと、受け止める事もできます。
どう考えようと、本人の自由です。
しかし、どう考えるかによって、その後の人生の送り方が、左右されるでしょう。
水が入ったコップを、ひっくり返すと、水がこぼれますよね。
コップの水がこぼれるのは、重力があるからです。
コップから外に出た水の分子は、重力に引かれるまま、移動して行きます。
どこまで移動するのか。
それは、その分子が最も安定した位置に、行けるまでです。
一つの水の分子が、ある場所へ移動するのを、偶然と見る事は自由です。
しかし真実は、その分子に働く重力と、周囲の分子との関わりにおいて、必然的に決まった場所へ、移動しているのです。
わずかでも別の要素が、そこに加わるならば、水の分子は違う場所へ、移動するでしょう。
でも、そうでない限りは、水の分子の移動する先は、決まっていると言えるのです。
それは、それぞれの水の分子についても、言える事です。
と言う事は、その時の全体的な、水の流れ方も、決まったとおりのものだと、言えるのです。
人をエネルギー体と考えると、周囲のエネルギーとの関係で、どこに引き寄せられるのか、どこと反発するのかが、決まっていると考えられます。
つまり、この世界に産まれて来る時に、その人のエネルギー状態によって、最も適切な時と場所が、決定するという事です。
エネルギー状態という表現は、外から眺めた、客観的な表現です。
これを主観的表現に変換してみましょう。
ある人物が、この世界に産まれて来るのは、その時にその人物が、何を考え、何を望み、どんな人生を送ろうとしているのかで、決まるのである。
こんな感じでしょうか。
これは、人間の心が不滅で、生まれる前、また死んだ後にも、心が存続するという事が、前提です。
心を精神エネルギーと考えれば、エネルギー不滅の法則に従って、ずっと存続しているという理屈です。
人の心は、状態が変化する事はあっても、消滅する事はないのです。
話を戻しますと、どの時代にしても、人はそれぞれ、その時の状態によって、適切な時と場所として、その時代や環境を選んで、生まれて来るのだと言えるでしょう。
人が何かを学ぶために、生まれて来るのだとすれば、それぞれの時と場所が、その学びにとって最適なのだと思います。
そこで、あなたに問います。
あなたは、何故今、ここに生まれて来たのでしょうか。
親が勝手に、産んだんだと言うのは、正しくありません。
その親や、その家の環境を、選んで産まれて来たのは、あなた自身の選択なのです。
考えてみて下さい。
考えても、損をする事はありません。
面白い事ですし、必ずあなたの人生に、深みが出ます。
これからの人生が、あなたの考え一つで、変わって来ますから、慎重に考えて下さい。
自分には価値がないと、考えないで下さい。
それは、自分の価値を知らないだけなのです。
何故、今なのか。
その答を求めるには、今がどういう時代なのかを、探る必要があります。
浅く探るのか、深く探るのかで、あなたの判断は、全然違うものになるでしょう。
でも、結果を恐れず、とにかく考えてみて下さい。
何故、この家に生まれたのか。
何故、この地域、この国に生まれたのか。
何故、ここで暮らしているのか。
何故、ここで働いているのか。
考えて下さい。
自分が惹かれる場所、避けたい場所、いろいろあるでしょう。
惹かれるにしても、避けたいにしても、それぞれ理由があるはずです。
その理由を探って下さい。
それは、あなた自身の性格や性質を、見つける作業でもあるのです。
普段、口にしている自分の性格が、本当は真逆であるかも知れません。
たとえば、人間嫌いだと自負していたはずが、実は人との交流に、飢えているという事があります。
頑張るなんて、面倒くさいし、かっこ悪いと思っていた。
それなのに、あるものに対しては、結構こだわりを持って、作業をしてしまうという事もあります。
人生の目的が、学びと喜びにあると考え、自分が最大限に輝く事と、今の時代や場所が、どう関係あるのかを、探って下さい。
退屈やつらさとは、反対方向に喜びがあるという、道しるべです。
嬉しさや楽しさは、その方向に喜びがあるという、道しるべです。
その道しるべに従って進んで行くと、自分がどうして、この時代、この場所を選んだのかが、見えて来ると思います。
また、自分がこの時代、この場所を選んだという事は、この時代、この場所が、あなたを選んだとも言えるのです。
つまり、あなたが今ここにいる以上、あなたはこの時代、この場所に、必要とされているわけです。
あなたを否定する価値観があるとすれば、その価値観を打ち砕く事が、あなたに求められているのかも知れません。
また、あなた自身、それを目的にしているとも、考えられます。
もちろん、目的が一つだけとは限りません。
もっと他にも、たくさんあるかも知れないのです。
目的を果たして行く事は、苦難の道かも知れません。
それでも、その道は必ず、あなたを深い喜びへ、導いてくれるでしょう。