健康の意味
健康とは何でしょうか。
WHO憲章では、次のように定義されています。
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること。
この定義に基づけば、世界は不健康な人が、あふれていると言えますね。
肉体的に満たされているというのは、病気知らず怪我知らずの、体力に満ちた肉体を、持つという事でしょうか。
年老いて体力が落ちると、もう健康の範疇からは、外れてしまいますね。
子供や若い人でも、運動不足であったり、偏食で骨が弱かったりすると、やはり健康とは言えません。
スマホやパソコンのし過ぎで、目が悪くなったり、猫背になるのもだめですね。
もう、これだけで多くの人が、不健康ということになるでしょう。
さらに精神的あるいは社会的な要素を、考慮するとどうでしょうか。
今は学校でも職場でも、精神的に追い詰められている人は、少なくありません。
見た目は明るく元気だった人が、ある日突然、自ら命を絶ってしまう事も、よくあります。
災害やコロナ騒ぎなどで、仕事を失ってしまう人も、社会的に活躍できません。
何とか頑張って仕事をしている人も、社会的に満たされているのかと言うと、そんな事はありません。
世の中の大半の人が、収入が少なくて、四苦八苦しています。
ニュースなどで、一世帯の平均年収という表現をしますが、あれは数字のごまかしです。
極端に収入の多い人が、ほんの少しいるだけで、全体の平均収入値は、ぐんと上昇します。
普通の人たちの実際の収入は、平均年収よりも、遥かに少ないでしょう。
こう見ると、健康と言える人は、ほとんどいません。
WHOの定義を満たせる人物というのは、社会的に地位が高く、肉体を鍛え続けられるだけの、時間とお金があり、自分の状況にとても満足できる人でしょう。
WHOの定義が間違っているのか、世の中の仕組みが間違っているのか。
いずれにしても、世の中の人の大半は、不健康という事です。
人類全体を一つの存在として見ると、その構成要素である大半の人が、不健康なのですから、人類は不健康だと言う事ができるでしょう。
私が健康を定義するなら、次のようにします。
本来の力や可能性を、邪魔される事なく自然に発揮し、成長できる状態。
ちょっと抽象的な言い方になりますが、人の場合、人間らしく成長できる事が、人としての健康でしょう。
では、人間らしくとは何なのか。
それは人間を、どのような存在と、とらえるのかという話です。
私は、人間は愛と好奇心に満ちた知性体と、理解しています。
愛の欠如、押さえ込まれた好奇心、思考の放棄、これらは全て、人として不健康な状態です。
逆に言えば、これら三つの要素を、満たしているならば、その人は健康です。
見た目に、体が衰えていようとも、人として健康です。
社会的・経済的に、苦境にあるように見えても、その人は健康です。
人の本質は心です。
体ではありません。
心が苦しんでいる状態にあると、体は連動して調子が狂い、病気になります。
心が健全な状態にあれば、体は本来の調子を取り戻し、元気になります。
それでも人は、いつかはこの世を去る時が来ます。
それに合わせて、体の力が衰えるのは、病気ではありません。
自然な変化を、不健康と見るのは、間違いです。
仕事が上手く行かない、お金がない。
そんな状況において、人は不安になります。
不安になるという事は、将来の自分に、自信がないという事です。
それは言い換えれば、愛と好奇心と思考が、停止しているのです。
自分に自信がないのは、自分を信用していないわけです。
自分に対する愛に、欠けています。
また、落ち込む自分にばかり、目を向けているのは、周囲への愛に欠けています。
好奇心は困った時にこそ、その力を発揮します。
しかし、自信のなさが、好奇心の足を引っ張ってしまいます。
自分を信頼していれば、困った時には、こうなるでしょう。
うーん、困った、どうしよう。
そうだ、こうしてみよう!
これをやるのも、結構面白そうだぞ。
好奇心が動き出すと、それに連動して、思考が動き始めます。
どうせやるなら、楽しい方がいいな。
他の人も笑顔になると、やりがいがあるね。
こんな事、誰もやってないけど、だから面白そうだ。
考えているうちに、心がわくわくして来て、すぐにでも動き出したくなるでしょう。
不安なんて、どこへ行ったのかわかりません。
こんな人は、人として、最高に健康な状態にあると言えます。
そんな事言ったって、結局、だめだったら、どうすんだよ。
そんな風に、文句を言う人もいるでしょう。
だめだったら、別の道を探るだけです。
わくわくしている人に、行き止まりの道はありません。
だめだったらと考えるのは、自信がなくて、自分の将来を諦めている人だけです。
諦めるのは勝手です。
それは構わないのですが、自分の人生をこうだと決めつけて、面白くないままでいるのは、もったいないと思います。
じっとしていても楽しくないのであれば、動くしかありません。
どうせ動かないといけないのであれば、楽しく動けばいいのです。
他人の目なんか、気にする必要はありません。
とにかく、ひたすら楽しさを、追求すればいいのです。
だめかも知れないなんて、考えてはいけません。
心の赴くまま進んでいれば、必ず力を貸してくれる人が、現れます。
本当に懸命に打ち込んでいる人は、他の人の心を、惹きつけるものです。
それに、実際に行動を取ることで、離れた所にいる人にも、自分の存在を知らせることができます。
近くに支援してくれる人がいなくても、離れた所にいる人が、手を差し伸べてくれるでしょう。
多くの人が、愛と好奇心と知性を、発揮している世の中を、想像してみて下さい。
それは幸せの世界と、表現できると思いませんか。
そんな世界を構築できる時、人類は健康だと言えるのです。