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資本主義の次に来るもの その1

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学者も政治家も、国民を馬鹿にし過ぎています。

自分たちが指導してやらないと、誰も何もできるわけがないと、初めから決めてかかっているようです。

資本主義だの社会主義だの、そういう言葉や概念がある事自体、一般の人々を下に見ている証拠です。

もちろん、好き勝手な事をする人たちばかりでは、どうしてもルールが必要になるでしょう。

しかし、他人を思いやったり、感謝できるような教育を、きちんと受けていれば、物事の流れは自然とできるものです。

一応、ルールのようなものが作られても、それでがんじがらめになる事はありません。

状況に応じて臨機応変に、よりよいルールが作られて行くでしょう。

今の学校教育は、子供に競争する事や、頑張らないとだめになるという不安を、植え付けています。

そうではなく、お互いに助け合い、お互いの違いを認め合い、喜びも悲しみも、お互いにわかち合うという事を、何よりも先に教えるべきなのです。

一部の授業でそういう事を教えても、他の授業でそれが打ち消されては、意味がありません。

何が最も大切なのかという事を、先生方は常に念頭に、置いておかねばなりません。

 ※WikiImagesさんによるPixabayからの画像です。

災害などで多くの人が、大変な状況にあるとします。

そして、その人たちを助けるための人間がいて、機材があって、知恵や技術もあります。
しかし、お金がありません。

こんな状況の時、初めはみんながボランティアとして、動くでしょう。

しかし作業が長引くと、ボランティアを続けられなくなります。

ボランティアでは収入がありません。
逆に持ち出す事が、多いのです。

それぞれの人には、日々の暮らしがありますし、企業には仕事があります。
それらを維持するためには、収入を得なければなりません。

結局、ボランティアは長くは続かず、政府や自治体の支援を待つしかありません。

しかし日本政府の立場は、個人の財産は個人の責任で守る、というのが基本です。

年金暮らしのお年寄りが、家を失っても、大した支援はしてもらえません。

それを、お金がないから仕方がないと考える人は、いるでしょう。

でも、そもそもお金がないから、動けないという状況にこそ、問題があるのです。

 ※extremisさんによるPixabayからの画像です。

全ての人が自らの意思によって、自分にできる事で、誰かの力になればいいのです。

そうすれば、今の経済学者が弾き出すようなお金は、いらないのではないでしょうか。

そんなのボランティアと同じじゃないかと、言われるかも知れません。

確かに、そうです。
気持ちはボランティアと同じです。

でも、全ての人がボランティアになるのです。

それは全員が被災地へ言って、労作業をするという事ではありません。

普段自分たちがする仕事を、無償で行うのです。

一部の仕事ではなく、全ての仕事でです。

そうすれば、誰も生活費の事を、心配する必要がなくなります。

そんなはずがないと思うかも知れませんが、そうなのです。

もちろん、海外から輸入しなければ、手に入らない物がありますから、海外の人の協力は必要です。

つまり、世界中の人が無償で動けば、お金は必要なくなるのです。

何で自分が関係のない人のために、ただ働きをしないといけないのかと、考える人もいるでしょう。

実は、そこがポイントなのです。

関係ないと思うから、ただ働きをさせられると、受け止めてしまうのです。

しかし、みんな家族だと思えば、どうでしょうか。

 ※Omar Medina FilmsさんによるPixabayからの画像です。

顔も見た事がない人、一生の間に、会う事もないような人、そういう人たちの事は、遠い親戚だと思えばいいのです。

向こうの人だって、こちらの事をそう思ってくれるでしょう。

そう思われているとわかれば、向こうの人が困っているのを、放って置くなんてできませんよね。

それは理想かも知れないけれど、そんなのできるわけないと、普通は思うでしょう。

でも、そう思うのは、自分が信じている価値観が、そう思わせているのです。