資本主義と社会主義(共産主義) その1
初めに、主義とは何かという事を、確かめておきます。
辞書によると、まず、持ち続けている考え・方針・態度など、とあります。
菜食主義とか完全主義など、個人的な考え方の事です。
次にあるのは、思想・学説・芸術理論などにおける、一定の立場というものです。
自然主義、写実主義など、個人あるいはグループの、いろんな分野における思想です。
最後にあるのが、特定の原理に基づく社会体制・制度などです。
資本主義や社会主義、民主主義など、国としてのシステムの在り方を、示しています。
さて、ここで資本主義と社会主義の話ですが、上で説明しましたように、主義とは言っても、個人やグループの決まった考え方を、意味しているのではありません。
ですから、俺は資本主義だ、私は社会主義なの、という言い方は正しくないわけです。
正しい表現は、俺の国は資本主義だ、私は社会主義の国に憧れてるの、という感じですね。
実際、どこの国の人でも、自分は資本主義だとか、社会主義だとかと言う人は、いないと思います。
人々が求めているのは、平和で安定した楽しい暮らしなのです。
その暮らしが得られるのであれば、自分の国がどんな主義であろうと、関係ありません。
自分の所へ訪れた人が、資本主義を推しているのか、社会主義を理想と考えているのかも、基本的にはどうでもいい事です。
大切なのは、その人物が自分たちに対して、好意的なのかどうかという事だけでしょう。
自分たちに親切にしてくれる人や、話が合う人を、敵視する理由はありません。
そこに資本主義か社会主義か、という事を持ち込むのは、国同士のいがみ合いを、もっと煽ろうとする者だけです。
一般の人は、誰とでも仲よくできればと、望んでいるはずです。
そもそも、資本主義や社会主義、あるいは共産主義などについて、ちゃんと説明できる人は、それほどいないのではないでしょうか。
私も専門家ではありませんから、それちょっと違うんじゃないと、言われるかも知れません。
でも、私なりに調べたり、実際に感じている範囲で、説明をしてみたいと思います。
まず資本主義の資本ですが、資本というのは、一般的には商売の元手ですよね。
商売をする時には、元手のお金を使って、安く仕入れた物を、高く売ります。
すると、差額が儲かりますから、儲けた分で、さらに多く仕入れて、多く売ることができます。
それを延々と繰り返す事で、手元に残るお金が、どんどん増えて行きます。
つまり、元手のお金を使って、連続的に利益を増やして行くのですね。
このように、金が金を生むシステムを、資本主義というのです。
大きな元手を持っている人は、その元手を使って、工場を作り、人を雇って、大きな利益を出すことができます。
雇われている人たちは、給料をもらえますが、手元にはあまり残りません。
しかし、それをコツコツ蓄えて行くと、いずれは大きな金額になります。
そうなれば、それを元手にして、もっと儲けられる商売を、自分で始める事ができるのです。
このように、誰でもその気があれば、元手を使って冨を生む事ができるシステム、というのが資本主義なのでしょう。
ただし、これはあくまでも、表面的な説明であって、実際にそうなっているのかというと、それは別の話です。
資本主義が理想通りの働きを、見せているのであれば、世の中の人々は、みんな夢を持って、前向きに暮らしているでしょう。
今はコツコツ働いている人も、将来は自分が望むような、事業を興す事ができると、期待に胸を膨らませていると思います。
また、実際にそうやって成功している人が、世の中に一杯いるはずです。
しかし、現状はそうではありません。
お金は、すでに余るほど持っている人の所にばかり、集まるようになっています。
生活保護を受けるようになった者に、再び浮上するチャンスが訪れることは、かなりむずかしい状況です。
経済的に恵まれた家に生まれた子供には、様々な選択肢が与えられます。
しかし、貧乏な家に生まれた子供は、夢を諦めなければならない事が、多いでしょう。
資本主義には、個人的な自由を尊重するという、自由主義というものが、重なっています。
個人の自由を尊重するという事は、とても大切なことです。
しかし、その表現に執着し過ぎているのでしょう。
個人の事は全て個人の責任で、という考え方が横行しています。
その結果、他人への思いやりにかける、風潮にあるようです。
資本主義は、利益を出す事が目的です。
そこに歪んだ自由主義から、他人の事を顧みない考えが加わり、自分さえ儲ければいいという、理屈が成立するのです。
それが、今の資本主義の現状でしょう。
一部の裕福な人々は、貧しい者たちに道を切り開く、手助けをしています。
しかし、その動きは裕福な者の全体には、広がっていません。
その結果、金の亡者に成り下がってしまった者たちが、世界を牛耳る構図が、できてしまったのです。