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宇宙の果て その2

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前回の記事で、ワープでもしなければ、宇宙の果ては確かめようがないと、書きました。

その時に使った図が、下の図です。

 ※地球から見たGN-z11の動き。

この図は、地球からGN-z11を眺めた様子です。
しかし、同じことがGN-z11からも、言えるわけです。

地球からGN-z11が見えたのですから、GN-z11でも地球が属する、銀河系の光が見えたはずです。

つまり、GN-z11からは、誕生直後の銀河系が見えたのです。

しかし、GN-z11でその光を確認できた今、銀河系本体は、もっと先へ移動しています。

その位置は、GN-z11から 320億光年離れています。
ですから、今の銀河系をGN-z11から、確かめることはできません。

その様子を描いたのが、下の図です。
GN-z11と銀河系(地球)の立場を、入れ替えました。

ここでは地球ではなく、銀河系という言葉を使っています。
その理由は、地球は自らは光っていないし、確認するには小さ過ぎるからです。

 ※GN-z11から見た銀河系の動き。
  GN-z11から見える銀河系の姿は、130億年前のものかも知れません。

この図で見ると、現在の銀河系の位置は、赤い直線と黄色い円の交点です。

青い円が宇宙の端ですから、宇宙の果てはすぐ近くという事になります。

グラフの小さな目盛りが、20億光年ですから、宇宙の果てまで、せいぜい100億光年ですね。

ところで、この図で見ると、現在の地球の位置は、宇宙の中心から、およそ 350億光年ほど離れた所にあるようです。

この位置からでは、GN-z11の放つ光を、どんなに過去にさかのぼっても、見ることはできません。

しかし、現実には確認されているのです。

これは、どういう事なのでしょうか。

そもそも初めの図では、地球の位置は宇宙の中心から、160億光年ほどの位置にありました。

でも、二つ目の図では、中心から350億光年ほどの所にあります。

これは大きな矛盾です。

これは宇宙空間が、光速を遥かに超えた速さで広がったという、ややこしい設定があるからではないかと思います。

つまり、ビッグバンによって宇宙が生じたという、前提自体が間違っているのではないか、という事です。

私は天文学者でも数学者でもありませんから、難しい計算や理屈はわかりません。

しかし、宇宙の創成について、ビッグバン以外の発想が必要ではないか、と思うのです。

ビッグバンという発想が生まれた理由として、宇宙の星々が互いに離れて行くように見えるという、観察結果があります。

互いに離れて行くということは、時間を逆に動かすと、全ては一点に凝縮されるだろうというのが、ビッグバン理論の始まりです。

宇宙はどんどん膨張した後、いつかは膨張をやめて収縮し始め、かなり縮んだ所で、再び膨張するという事を、延々と繰り返すという考え方もあります。

しかし、全体を風船のように見るのではなく、宇宙の様々な所で、宇宙を構成する物質エネルギーが、火山の噴火のように、噴き出していると見ることも、できると思います。

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

実際、現在観察されている宇宙は、銀河集団が集まった超銀河団が、全体で網目のような構造、もしくは泡が集まったような構造を、形成しているそうです。

つまり、宇宙に存在する星々は、均一に散らばっているのではないのです。

超銀河団は、いくつもある泡の縁を形成するように、泡の周辺部に長細い形で、集まっています。

一方で、泡の中の部分には、光を発する天体が、ほとんどありません。

しかし、何故こういう構造になっているのかは、まだ結論が出ていないようです。


宇宙には質量を持ちながら、物質としての形を持たない、ダークマターというものが、満ちていると言われています。

この宇宙の泡構造の泡の中は、このダークマターが噴き出しているのではないかと、私は考えています。

それぞれの噴出口から、噴き出したダークマターは、他の噴出口から出たダークマターと、ぶつかり合います。

ぶつかり合ったダークマターは、新しい星を創るエネルギーと、なるのでしょう。
それで、泡の縁に銀河が集まっているのだと思います。

また、あちこちで噴き出されたダークマターが、その領域を広げて行くと、その周辺にある銀河は、互いに離れる方向に動きます。

すぐ近くにある銀河同士は、引力で引き寄せ合うでしょうが、離れた所にある銀河と銀河は、互いに遠ざかるように動くでしょう。

あちこちでダークマターが、噴き出していると考えれば、ビッグバン理論のように、宇宙の始まりを規定する必要がありません。

始まりがなければ、終わりもないわけで、宇宙の果てを考える必要もないのです。

では、果てがなければ、この宇宙は無限なのでしょうか。

 ※Youssef JheirさんによるPixabayからの画像です。

この世界が平面だと信じられていた頃、海をどんどん進んで行くと、出発点に戻って来るとは、誰も考えていませんでした。

それと同じように、宇宙の果てを目指して、どんどん進んで行くと、その先に地球が待っているのかも知れません。

私たちは宇宙を、三次元空間ととらえています。

しかし、実際の宇宙の構造が、別の形態であったなら、そういう事も有り得るでしょう。

また、パワレルワールドとして、別次元の宇宙がいくつもあると考えれば、この宇宙は有限と言えます。

それでも、次々に湧き出るダークマターが、創り出す世界に制限はありません。

そういう意味では、この宇宙は無限の姿を秘めていると、言えるでしょう。

 ※BessiさんによるPixabayからの画像です。

ところで、人が見る夢にも、空間があります。

もし、空間の果てを目指して、どんどん移動したとしても、果てなど見つからないでしょう。

それは夢が、その人の心を表現したものだからです。

心が果てを規定しない限り、どこまで行っても、果ては見つかりません。

それは夢でなく、目覚めている時の、イメージでも言える事です。

果てを想定しない限り、イメージの世界に果てはありません。

つまり、心の中に広がる世界は、無限なのです。

 ※bBearさんによる写真ACからの写真です。

また、少し話がそれますが、心霊写真などで、オーブと呼ばれる、小さな光点が写っている事がありますね。

あの小さな光点の一つが、一つの意識だとすると、あの光点の中には、無限の世界が広がっているという事になります。

話を戻しますと、この世界の実体は、宇宙という大きな意識が見ている、夢なのかも知れません。

私たちは宇宙の夢の一つを、のぞいているのでしょう。

そして、オーブが一つの意識であるように、宇宙も実は、一つの点のような存在だと考えることもできます。

きっと私たちが知る世界は、一点がビッグバンを起こして、できたのではないと思います。

一つの意識の点の中に、すでに広がっている、宇宙の心の世界に違いありません。