地球にいる知性体
地球に存在する知性体と言われると、間違いなく人間を思い浮かべるでしょうね。
しかし、人間以外に知性体がいたとしたら、どうでしょうか。
異星人がすでに地球に来ていて、人間の中に紛れ込んでいる?
それもあるかも知れません。
でも、私が言う知性体は、昔から地球に存在するものが対象です。
そう言われると、今度はチンパンジーやゴリラなどの類人猿や、イルカやクジラなんかが、頭に浮かぶでしょうか。
他にも、人に身近な犬や猫なんかも、知性があるように見えます。
オウムやカラスなども、かなり賢く見えますよね。
知性が感じられる生き物は、人間には友だちのように思えます。
人によっては、その生き物を家族のように見るでしょう。
私は全てのものは、精神エネルギーなのだと考えています。
私たちが物質と呼んでいる、レベルのものについてもそうです。
精神と物質は分けられがちですが、その本質においては、どちらも同じエネルギーだと、私は思います。
違うのは、エネルギーとしての質でしょう。
よく言われるのは、振動数が違うという表現です。
振動数と言われても、ぴんと来ないかも知れませんね。
でも、電磁波の波長や振動数の違いと、同じだと考えれば、イメージできるでしょうか。
そして、精神エネルギーの基本は、知性なのだと私は理解しています。
精神エネルギーが意識を作るのですから、その基本は知性でなければ、理屈が合いません。
全ての存在が、精神エネルギーで作られている。
それは人間やそれ以外の生物だけでなく、水にも空気にも土にも、それなりの知性があるということです。
もちろん、普通に人間が考える知性というものと比べると、そんなの全然知性じゃないと、思われるでしょう。
しかし、それは物質の知性を、人間がイメージできないだけのことです。
ここで、初めの話に戻りますが、地球上の知性体と言うと、地球に存在するもの、全てだということになります。
ただ、私はここで知性体の定義を、もう少し狭めたいと思います。
それは自分を認識できる存在です。
人間以外に、自分を認識できる生き物は、地球上にどれだけいるでしょうか。
ここで言う自分とは、自分の体のことではなく、自分の心のことです。
生物は自らの体をセンサーとして、周囲の情報を感知します。
センサー機能は、センサーである体自体も、調査の対象になっています。
ですから、空腹や痛みなどを、情報としてとらえて、意識へ伝えるのです。
そのセンサーを、自らの意識に向けられる生き物が、人間以外に存在するのかというのが、私の問いです。
だけど、この問いに答えられる人はいないでしょう。
何故なら、その生き物のセンサーが、自分の意識に向けられているかを、確かめる術がないからです。
ミラーテスト(鏡像自己認知テスト)というものがあります。
まず、テスト対象となる動物に、麻酔をかけて眠らせます。
その間に、その動物が自分では見られない、体の部分に色を塗ったり、ステッカーを貼っておきます。
その後、意識が戻った動物に鏡を見せて、その反応を見るというテストです。
多くの動物は、鏡に映っているのが、自分だとは気がつきません。
それでも、いくつかの種類の動物は、それが自分だと理解して、知らない間につけられた、色屋ステッカーを、取ろうとするそうです。
これは、動物が自分を認識できるかどうかという実験です。
多くのサルたち、アシカ、パンダ、イヌ、オウム、カラス、タコは、このテストに失敗したと言います。
合格した動物は、イルカとシャチ、ボノボとチンパンジーとオランウータン、ゾウ、カササギ、そして魚のホンソメワケベラだそうです。
しかし、このテストで動物が認識しているのは、自分の体であって、心ではありません。
鏡の中の自分の姿を、自分だと認識できる動物と、認識できない動物がいることは、わかります。
しかし、認識できた動物が、自我というものまで認識しているかは、わからないのです。
人間ですら、鏡を見て、髪の乱れを直したり、にこっと笑ったりする事はあっても、自分って何なんだろうと、考える人は多くないでしょう。
ただし、考えてみろと言われたら、考えることができます。
それは人間であれば、誰でもできるのです。
果たして、自分という存在に、目を向けられる動物は、いるのでしょうか。
もし、そんな知性のある動物が、人間以外にいたとすれば、人間はその動物に対して、特別な親しみと敬意を抱くでしょう。
姿こそ人間とは全然違ったとしても、自分たちと同じ存在であると、強く認識できるに違いありません。
先に述べたように、それを直接確かめる術はありませんが、あなたはどう思いますか。
そんな生き物など、いるわけがないと思いますか。
それとも、あの動物だったらと、思い当たる動物がいますか。
いずれにしても、知性があるのは人間だけでは、ないのだと知ることは重要です。
そして、時には人間のように見える、生き物がいるとすれば、その生き物は人間とは全く違った道を歩むと決めた、素晴らしい知性体なのかも知れません。