男性エネルギーと女性エネルギー 1
世の中には、男性がいて女性がいます。
動物の世界でも、雄と雌がいます。
しかし、これらは体の構造上の事です。
人間の場合、肉体的な性と心の性が、不一致の方がいます。
それは人間だけの話かと思いきや、動物の世界でもあるようです。
私が見たのは、雄同士でカップルになった、ペンギンです。
互いに雄なので、卵を産む事ができません。
しかし、自分の子供が欲しいのでしょう。
他のカップルの間に、生まれた卵を盗むのです。
そして、その盗んだ卵を、自分たちの子供として、育てるのです。
それは、雄と雌のカップルがする事と、全く同じでした。
また、魚の中には、雄が雌になったり、雌が雄になったりと、同じ個体が性を変化させるものもいます。
カタツムリやミミズ、アメフラシなどの動物は、雌雄同体と言って、一つの個体の中に、雄の生殖器と雌の生殖器の、両方を持っています。
生き物を、雄か雌かで区別していては、どう判断すればいいのか、わからなくなってしまうでしょう。
性があるのは、植物でも同じです。
私たちが、よく見かける花の多くは、雄しべと雌しべがあります。
その雄しべの花粉が、雌しべに付着する事で、受粉して種や実をつけるのです。
一つの花の中に、雄しべと雌しべの両方がある花は、両性花と表現します。
雄しべしかない花と、雌しべしかない花に、分かれている場合、単性花と言います。
マツやイチョウの花は、単性花です。
マツは一つの木に、雄花と雌花の両方が咲きます。
イチョウは木によって、雄花しか咲かない木、雌花しか咲かない木があります。
自然界における性の表現は、様々です。
どれがよくて、どれが悪いという事はありません。
自然界における性を考えると、LGBTと呼ばれる人々の存在は、少しも不自然ではないように思えます。
LGBTの人々を変わり者として見る事は、いかに自分が自然を知らないかという事を、アピールしているのと同じです。
自分は男性だと認識している人の中にも、女性的な要素は存在します。
自分を女性だと認識している人も、同様です。
どの女性の中にも、男性的要素は存在するのです。
私はこれを男性エネルギー、女性エネルギーという見方をします。
人間をエネルギー体と考えれば、男性や女性という要素は、そのエネルギーの質だと説明ができます。
見た目の体の構造は、性エネルギーの一つの表現ではあります。
しかし、その人のエネルギー全体の質を、体の構造が代表しているとは、限らないのです。
男性エネルギーと女性エネルギーは、表裏一体のエネルギーです。
本来は同じエネルギーが、互いに違う方を、向いているだけなのです。
両者は常に対等であり、互いにバランスを取っています。
ですから、どちらが優れているという事は、言えません。
一般的な男性エネルギーの印象は、運動、力強さ、外へ向いた好奇心、でしょう。
一般的な女性エネルギーの印象は、安定、優しさ、内へ向いた好奇心、だと思います。
これは物理学で言われる、運動エネルギーと質量エネルギーに似ています。
質量を持つ事は、存在としての安定であり、内向きの力が働いています。
その内向きの力が、他の存在を引き寄せて、さらに大きな質量を生み出そうとします。
それが重力です。
相手を引き寄せようとする力は、内面的には優しさとして、映るでしょう。
安定を求めて、内向きに働く質量エネルギーは、まさに女性的です。
一方で、光などの質量を持たないエネルギーは、純粋な運動エネルギーです。
何かにぶつかって吸収されるまで、空間を飛び続けます。
安定の事など微塵も考えず、好奇心の導くままに、外へ向かって飛び続けるわけですね。
障害物があっても、避けたりしないで、ぶつかって行く力強さは、男性的と言えるでしょう。
つまり、この宇宙を構成しているエネルギーは、元々が男性的な一面と、女性的な一面があるという事なのです。
それはミクロの世界でも、マクロの世界でも、それなりの形で表現されます。
その表現の仕方にはいろいろあり、それが様々な形の、性表現となっているのでしょう。
人間社会でも自然の中でも、いろんな性の姿があります。
それは当たり前の事であり、どの姿も対等なのです。