擬態
擬態とは、他の物に自分の姿を似せることです。
擬態で有名なのは、昆虫でしょう。
上の写真は、蛾の一種です。
木の切れ端にそっくりですね。
ぱっと見ると、大きな木の上に、切った太い枝を、載せているみたいです。
これは尺取り虫です。
すっかり木の枝になったつもりのようですね。
見かけが木の枝に似ているだけでなく、明らかに尺取り虫自身が、枝に化けることを、意識しているようです。
これは有名なコノハムシです。
本当に葉っぱそっくりですね。
魚にも見事な擬態のものがいますよね。
これは砂に隠れたイシガレイです。
パッと見ただけでは、どこにいるのかわかりにくいですね。
こちらは、ゴールデン・ピグミーシーホースです。
ちっちゃなタツノオトシゴの仲間です。
つかまっているのは、ヤギというサンゴのような生き物です。
ヤギのイボイボと、同じようなイボが、ピグミーシーホースにもありますね。
これは白黒の海シダに擬態した、ゼブラシュリンプです。
シマウマのようなエビってことですね。
こちらは、アマガエルです。
これも擬態の一種なのでしょう。
草むらにいるバッタなんかも、緑色のものが多いですが、どれも擬態でしょう。
色だけが周囲に似ている、生き物も多いですが、形までもが周囲にそっくりな生き物も、いろいろいるんですね。
だけど、全然周囲のことなど、お構いなしという姿の生き物もいます。
どんな姿で生きるのかは、全くの自由なのでしょう。
また、周囲に身を隠すのも、色だけ似せる者もいれば、形まで似せる者がいて、どの形が一番ということではないようです。
色が緑というだけならば、他の植物の葉っぱの所でも、じっとしていれば目立ちません。
ある葉っぱに完全に似ている場合、違う葉っぱの所へ行くと、逆に目立ってしまいます。
と言うことは、広範囲に動く者は、色だけを周囲に似せるけれど、狭い範囲にしかいない者は、形まで似て来るのかも知れませんね。
いずれにしても、全然違う場所に置かれては、せっかくの擬態が、かえって足を引っ張ることになってしまいます。
葉っぱそっくりのコノハムシも、机の上に置かれると、すぐに見つかってしまいます。
それにしても、周囲に自分を似せるというのは、いったいどうやるのでしょうか。
形や色が決まっている生き物は、ある場所では見つかりにくいですが、別の場所では目立ちます。
ところが、カメレオンは周囲の場所によって、体の色を変えることができるのです。
カメレオンは左右の目が、別々に動いて、周囲をよく観察しています。
もしかしたら視覚的な刺激が、皮膚の色素調節と、連動しているのかも知れません。
タコも忍者と呼ばれるほど、周囲に化けるのが上手です。
色ばかりか、表面が岩の形状そっくりになったりします。
また、体全体の形を変えて、他の生き物に化けることもあります。
つまり、自分の意志で思ったとおりに、変化しているわけですね。
この場合、視覚的な情報で自動的に変化しているのとは、ちょっと違うようです。
こういう生き物たちの形態や能力を、生き残るための戦略だと考える、研究者もいます。
でも、彼らが人間のような頭や、知性を持っているとは、認めていません。
それなのに、戦略という言葉を使うのは、矛盾しているように思います。
私の考えでは、こういう生き物たちには、今の人間にはわからない、空間認識の力があるのです。
生き物の個体が持つ形態や能力は、その個体が自分で身に着けたものでは、ありません。
それは遺伝子情報によって、決められたものです。
ですから、もし昆虫や魚たちが喋ることができても、どうして自分たちが、そうなっているのかを、答えることはできないでしょう。
答えるとすれば、生まれた時から、こうなっている、というぐらいだと思います。
では、その遺伝子情報は、どこから来たのでしょうか。
これも一部の学者が言うような、突然変異だとか、偶然の変化のようなことでは、ありません。
生き物たちにも集合意識があります。
個体は集合意識の、触手の一つのようなものです。
本体は集合意識であり、遺伝子情報は集合意識の状態によって、決まるのでしょう。
個体レベルでは、物質的な体がありますが、集合意識はエネルギー体です。
周囲との境界は、物質世界のようには、はっきりしていません。
一方、生き物にとっての環境である、植物や鉱物にも集合意識があります。
こちらもエネルギー体であって、昆虫や魚たちの集合意識と、交わることができるのだと思います。
その時に、その環境のエネルギーパターンを、自らの中に取り込むと、それが遺伝子情報に反映されて、環境に似た色や形の個体が、生まれるのでしょう。
カメレオンやタコのように、その場に応じて、体を変化させられる生き物は、どうでしょうか。
恐らく、個体レベルで周囲のエネルギーを、感知しているのではないかと思います。
そして、自らのエネルギーを、そのエネルギーに似せることで、体が自動的に周囲にそっくりな状態に、なるのではないでしょうか。
全ては精神エネルギーであり、エネルギー同士の関わり具合によって、様々な生き物が、その姿を形作っているというのが、擬態についての私の考えです。