人類の進化1
私たちが見たり聞いたり触れたりして、体験している世界は、一人一人違います。
同じ世界を体験しているつもりではありますが、誰かが体験している世界は、その人だけのものなのです。
その人が目を閉じれば、その人の世界だけが見えなくなりますし、その人が耳をふさげば、その人の世界だけが聞こえなくなります。
その人がこの世を去れば、その人の世界は終わりになります。
他の人は世界を体験し続けていても、その人の世界は、そこで中断となるのです。
これはまさに、コンピューターやスマホの中のゲームと同じです。
全員が同じ世界に存在しているのだと、錯覚を起こしているのです。
ところで、コンピューターでは様々なプログラムが、動くための基盤となる特別なプログラムが、予め用意されています。
OSと呼ばれるものですね。
たとえば、wiondowsとか、macというプログラムがそうです。
これらのOSプログラムは、他のプログラムの基盤となっています。
ですから、OSプログラムがなければ、どんなアプリケーションのプログラムも動けません。
これらのOSプログラムがバージョンアップされると、それまで動いていたアプリケーションプログラムが、動かなくなることがあるのです。
つまり、新しくなった基盤が、古いままのアプリケーションプログラムには、合わなかくなるということです。
ここで話を戻しますが、私たち一人一人が、自分の世界を体験できるのは、その世界の構成に関与している、人類の集団意識があるからです。
言い換えれば、人類の集団意識が、人間としての世界を構築するための、情報を集める基礎プログラムを、提供しているわけです。
コンピューターのOSと同じですね。
一人一人の意識は、その基礎プログラムを利用して、自分の肉体を構成し、そこから世界の情報を集めて、自分だけの世界を創るのです。
私たちは五感を通して、集めた情報を元に、物理的な世界を体験し、そこに感覚や感情を付加して、自分なりの意味づけをした世界を、創り上げます。
その意味づけに基づいて、自分がどのような行動を選択するかが、決まって来ます。
その行動によって、新たな情報が加わり、そこに新たな感覚や感情も、付け加えられます。
その結果、私たちは自分の世界に対する、意味づけを強化したり、思い直したりするのです。
世界にはいろんな価値観があり、人の数だけ違った世界観があります。
その結果、天使のような行いをする人もいれば、悪魔のような人もいます。
それは人類の集団意識が、まだ洗練されていない、混沌とした状態にあるからです。
しかし、人類の意識が成長し、進化するのが自然であるならば、いずれこの混沌とした状態には終止符が打たれ、人類の意識は次なる形態を取ろうと、動き出すでしょう。
それはコンピューターのOSプログラムが、大きくバージョンアップされるのと同じです。
あるいは、昆虫が幼虫からサナギを経て、成虫へと変態するようなものでしょう。
サナギの中は、どろどろとした混沌状態に見えますが、やがて成虫の体を構築すべく、それまでとは違った、新たな形態が創られて行くのです。
そうなると、不要になった部分は、細胞が死滅して消えて行きます。
コンピューターのアプリケーションプログラムも、新しいバージョンのOSに、対応できるものは残れますが、対応できないものは消えて行くことになります。
同じように、人類の集団意識が進化を始めると、それに適応できる個人意識のエネルギーは、残ることができるでしょうが、適応できなければ、自分の世界を存続させることが、できなくなるでしょう。
その人の精神エネルギーが、消滅するわけではありません。
ただ、この世界を体験し続けることが、できなくなるということです。