前世と生まれ変わり2
前回ご紹介しました、イアン・スティーブンソン教授と、サトワント・パスリチャ助教授が研究された、前世記憶の話を、いくつかご紹介したいと思います。
1956年にインドのデリーに生まれた、ゴーパール・グプタ(男児)の話です。
ゴーパールの両親は、ほとんど教育を受けていない、中流の下の階層の人間でした。
ゴーパールが2歳を過ぎて、言葉を話すようになった頃、父親がゴーパールに、来客が使ったコップを片づけるよう、命じました。
するとゴーパールは「そんな物は持たない。ぼくはシャルマだ」と答えて、みんなを驚かせました。
シャルマとは、インドのカースト制で最高位にある、バラモンに属している人たちでした。
バラモンは自分より下層の物が、触った食器類には、手を触れないのが普通なのです。
ゴーパールは、マトゥラーという街で暮らしていたと言うのですが、この街はデリーから南へ、160kmほどの所にある街でした。
ゴーパールはその街で、薬会社を経営し、召使いを何人も雇った、大邸宅に暮らしていたそうです。
そこでは妻と二人の弟と一緒に、暮らしていたそうですが、その弟の一人と口論になり、撃たれたと言うのです。
父親は初め、本気にしていませんでしたが、ゴーパールが話したとおりの殺人事件が、マトゥラーであったことを、耳にします。
父親がマトゥラーを訪ねてみると、果たしてゴーパールが語った薬会社が見つかりました。
そして、1948年にその会社の経営者の一人が、兄のシャクティパル・シャルマを射殺した事件があったことを、確かめたのです。
ゴーパールの話を聞いたシャルマ家の人々は、ゴーパールと合って話をします。
ゴーパールは身内でなければ知らないような、家族関係や撃たれるに至った経緯などを、シャルマ家の人たちに話しました。
それで、シャルマ家の人々も、ゴーパールがシャクティパルの生まれ変わりだと、確信したそうです。
1958年にイングランド最北部の、ノーサンバーランド州に生まれた、一卵性双生児のポロック姉妹の話です。
二人の名前は、ジリアンとジェニファーです。
ジリアンとジェニファーは、2歳から4歳までの間に、ジョアンナとジャクリーンと言う、二人の姉についての、発言をすることがありました。
実は、ジョアンナとジャクリーンの二人は、1957年に発狂した女の車に、ひき殺されたのです。
当時、ジョアンナは11歳、ジャクリーンは 6歳でした。
二人が死んだ後、両親は大きなショックを受けました。
しかし、父親のポロック氏は、死んだ二人の娘が、双子として生まれて来るはずだと、固く信じていたと言います。
そして、ポロック氏の言葉どおり、妻のフローレンスは双子を身籠もり、ジリアンとジェニファーが生まれたのです。
ジャクリーンには生前、体に二つの傷がありました。
その傷と大きさも部位も一致する母斑が、妹のジェニファーの体にあったのです。
母斑が遺伝子によるものであるならば、一卵性双生児であるジリアンにも、同じ母斑があるはずです。
しかし母斑があるのは、ジェニファーだけでした。
しかも、その母斑は死んだジャクリーンの傷を、彷彿とさせるものでした。
また、死んだ時にジョアンナは、字を習っていたので、鉛筆を使うことができました。
一方、ジャクリーンはまだ、鉛筆を持たせてもらっていませんでした。
ジリアンとジェニファーが字を習い始めると、ジリアンは鉛筆を難なく、持つことができました。
しかし、ジェニファーは手で握りしめるだけでした。
1976年にフィンランドのヘルシンキに生まれた、サムエル・ヘランデル(男児)の話です。
1歳半の時、サムエルは自分の名前を聞かれて、ペルティと答えました。
お前はサムエルだと言われても、自分はペルティだと言い張っていたと言います。
サムエルの母、マリヤにはペルティという弟がいました。
ペルティは1957年にヘルシンキで生まれ、1975年に18歳の若さで、亡くなりました。
死因は糖尿病でした。
ペルティは重症の糖尿病になり、昏睡状態に陥って死んだのでした。
マリヤがサムエルを身籠もった時、マリヤは子供の中絶を考えていたそうです。
妊娠は10週目でした。
その時に、マリヤはペルティの夢を見ました。
ペルティは夢の中で、子供はそのままにしておいてと、マリヤに頼んだそうです。
結局、マリヤはサムエルを産むことになったのですが、そのサムエルが自分はペルティだと、言い張ったのです。
ペルティと親しかった人たちや、ペルティがよく知っていた物を、前にした時に、サムエルは前世の記憶らしき話を、したと言います。
また、ペルティの写真を見つけると、これはぼくだと言っていたそうです。
ペルティは、自分が死んだ時のことを覚えていて、葬儀の様子を説明しました。
そして、自分の墓の前に来ると、これはぼくの墓だと言ったそうです。
1969年にインドのウッタル・プラデーシュ州に生まれた、マンジュ・シャルマ(女児)の話です。
マンジュの家は、マトゥラー地区のパサウリ村にありました。
しかし、マンジュは2歳の頃に、自分はチャウムハ村の者だと言い出したのです。
チャウムハ村の父親と名前を挙げたマンジュは、父親がパン屋をしていたと話しました。
そして、自分が死んだ日のことも、説明したと言います。
マンジュの話によれば、マンジュは井戸の水を汲もうとして、井戸に落ちて死んだそうです。
しかし、両親はマンジュの話を聞き流し、まともに取り合おうとしませんでした。
ある日、チャウムハ村の男性が、パサウリ村を訪れます。
マンジュはこの男性をつかまえると、自分の叔父さんだと言いました。
しかし、男性はマンジュのことが、わかりません。
マンジュは男性に、チャウムハ村にいる父親の名前を告げ、井戸に落ちた話もしました。
驚いた男性は村へ戻ると、マンジュが話した家族を訪ね、マンジュのことを伝えました。
話を聞いた家族は、パサウリ村にマンジュを訪ねます。
家族と対面したマンジュは涙を流し、家族もまた涙を流します。
そして、家族はマンジュにいくつかの質問をし、マンジュが井戸に落ちて死んだ娘、クリシュナに間違いないと確信しました。
クリシュナが亡くなったのは1965年で、当時9歳でした。
それからマンジュは、双方の家を行き来するようになりました。
最後は、少し特殊な例です。
通常、前世を語るのは、2歳から4歳の子供です。
しかし、今回の話に出て来るのは、32歳の女性です。
また大抵の場合、前世の人格が生きていたのは、3、4年以内のことですが、この例に出て来る前世の人格は、150年近く前のものです。
そして、この話の前世の人格が現れる前に、現世の人格はいったんトランス状態に陥ります。
つまり、催眠術にでもかかったような、ぼーっとした状態になるのですね。
前世の人格が今世の人格を、完全に支配してしまうことは、稀だそうですが、この話ではそういう状態になるようです。
これらの点を考えると、この話を生まれ変わりと、とらえていいのか、わかりません。
しかし、過去に生きた人物の人格が、現れているという点で、それを前世と考えてもいいかも知れない、ということでしょう。
この話の一番の特徴は、今世の人格が知らない言葉を、前世の人格が語ったということです。
インドのマハーラーシュトラ州に暮らす、ウッタラ・フッダルという女性の話です。
ウッタラは32歳になってから、シャラーダと名乗るベンガル民族の、既婚女性の人格を出すようになりました。
シャラーダはベンガル語でしか、会話をしません。
しかし、ウッタラも家族も、ベンガル語を知らないのです。
調査のためには、ベンガル語の通訳者を呼ばなければ、なりませんでした。
シャラーダの話では、彼女の夫はアーユルヴェーダ医で、村から村を渡り歩いていたと言います。
シャラーダが暮らしていたのは、現在はバングラデシュ領になっている、旧・東ベンガル地方だそうです。
妊娠7ヶ月の時、シャラーダは花を摘んでいる時に、ヘビに咬まれて気を失ったと言いました。
恐らくその時に亡くなったのでしょうが、本人には自分が死んだという、自覚がありません。
シャラーダは夫を探し歩いているうちに、ここ(ウッタラの村)まで来たと言いました。
シャラーダが語ったのは、19世紀初頭のベンガルの農村の話でした。
シャラーダは、当時にはなかった扇風機や電気のスイッチなどは、全く知らない様子でした。
また、シャラーダのベンガル語には、英単語が一つも混じっていなかったと言います。
現代ベンガル語には、英語由来の言葉が、2割ほど含まれているそうですので、シャラーダが語ったベンガル語は、古い言語だと言えます。
調査の結果、シャラーダが語った家族の、家系図が見つかり、シャラーダの話の信憑性は高まりました。
いかがでしょうか。
前世というものが、あなたの思考の中で、確固たる地位を得たでしょうか。
これまで真面目に考えたことがなかったなら、これを機会に考えてみて欲しいと思います。
そして人生について、その意味を探ってみて下さい。