認められたい気持ち その1
人はみんな、誰かに認めて欲しいという気持ちを、持っていると思います。
人間社会では人に認められることが、一人の人間としての存在価値のように、考えられているようです。
確かに、誰かに認められ、褒めてもらえたら、それは嬉しい気持ちになります。
特に子供は親に認めてもらおうと、自分の意に反することでも、やろうとします。
認めてもらうための行為は、学校や友だち関係の中でも行われ、社会に出て働くようになっても、続きます。
本当はこうしたくないんだけど、認めてもらうためには仕方がない。
みんなは自分のことを、いい人だと思ってくれているから、今更本当の気持ちは言えない。
どうやったって認めてもらえないんだから、自分なんかには価値がないんだ。
こんな風に考えてしまうことって、誰しもあるのではないでしょうか。
たとえば、一人でいるのが、好きな人がいるとしましょう。
この人は一人が気楽なので、いつも一人でいることが多いとします。
しかし、賑やかなのが好きな人たちからすれば、孤独な変わり者に見えるでしょう。
あるいは、本当はみんなと一緒にいたいのに、それができない可哀想な人と、受け止めるかも知れません。
孤独が好きなこの人は、馬鹿にされたり、同情されたりすると、みんなと一緒にいないと、いけないのかなと考えます。
そして、グループの中に入りますが、やはり居心地が悪くて、仕方がありません。
でも、グループを抜けたいと言うと、何を言われるかわかりません。
仕方なく我慢して、グループに属しているうちに、この人は心身共に、具合が悪くなってしまいました。
こんな事って、あるのではないでしょうか。
認めてもらいたいがために、他人の価値観や生き方に、むりやり自分を合わせてしまうのです。
よほど心の強い人でなければ、なかなか多くの人の価値観に、逆らうようなことはできないと思います。
自分が具合が悪くなるほど、嫌なことに自分を合わせる理由は、認められたいからという、気持ちがあるからでしょう。
馬鹿にされたくないとか、陰口を叩かれたくないと思うのも、そういう人間ではないのだと、認めて欲しいと考えるからです。
では、どうして人は、誰かに認めてもらいたいと、思うのでしょうか。
それは、人が集団で生きているからです。
人は社会を形成して暮らします。
家族や学校も、小さな社会と言えるでしょう。
大抵の場合、人は何らかのグループに、所属しているものです。
それが一般的なので、そうでない者たちを、異端視する傾向があるのです。
自分たちと違う価値観を持つ者を、人はなかなか、受け入れようとしません。
何故ならば、その人を認めることが、自分の生き方を否定するように、思えてしまうからです。
自分は間違っていない、自分は正しいんだ。
そう思いたいから、自分と違う考えを持っている人がいると、否定したくなるのです。
でも、誰かを認めることで、自分の価値が揺らぐのは、おかしな話です。
結局、この人もまた、自分を認めてもらいたいわけですね。
自分に自信がないのです。
新たな価値観を、持っている人が認められたら、自分が認められなくなると、恐れているのです。
こういった直接の人間関係において、誰かに認めてもらいたいと考えるのは、自分が誰ともつながっていないという、不安があるからです。
一人が好きだと言う人も、みんなから疎外されることを、望んでいるわけではありません。
一人でいることが好きなのだと、周囲の人にわかって欲しいし、そういう自分を受け入れてもらいたいはずです。
でも、そんな努力をしなくても、本当はみんなとつながっていたとしたら、どれだけ気持ちが楽でしょうか。
小さな子供は、親がどこかで見守ってくれていると、どんどん遠くへ行ったり、興味がある物に近づこうとします。
でも、親がどこにもいないと思うと、夢中になっていたことを放り出し、泣きながら親を探します。
それと同じことで、見守ってもらえていないと考えるから、自分を見てくれる人を、探したくなるのです。
いつも自分は、見守ってもらっていると、わかっていれば安心です。
他の人の目など気にしないで、自由に生きることができるのです。