心が奏でるメロディー
音楽にはメロディーがつきものです。
楽しいメロディー、悲しいメロディー、明るいメロディー、暗いメロディー。
明るく楽しいメロディーを聴けば、明るく楽しい気分になれます。
暗く悲しいメロディーを聴けば、暗く悲しい気持ちになります。
また、メロディーを表現する、楽器の種類や演奏の仕方によって、同じメロディーでも、雰囲気が違ったものになります。
本来はしっとりした曲も、リズミカルで弾むようなものに、変身したりしますよね。
こうなると、メロディーそのものは、同じかも知れませんが、もう全然違う曲と言えるでしょう。
もちろん、著作権の話は別ですよ。
ところで、楽しいメロディーを楽しく感じたり、悲しいメロディーを悲しく感じるのは、どうしてなんでしょう。
どちらも高さの違う音を、並べただけです。
和音だって、いくつかの音の、組み合わせに過ぎません。
それなのに一方は楽しく感じ、他方は悲しく感じる。
これは何故なのでしょう。
昔の話ですが、私は不思議な夢を見ました。
ギリシャ神話に出て来るような、白い衣装を身にまとった、きれいな西洋の女性の夢です。
その女性が、かなり離れた所から私に向かって、悲しそうな顔で歌を歌うのです。
でも、何故かその歌は、人の声ではありませんでした。
バイオリンで奏でたような、音だったのです。
かなり高音の、とても悲しげなメロディーでした。
そのメロディーが、私の耳に届くや否や、私の心は、悲しみで一杯になりました。
私に悲しむ理由はありません。
その悲しみは彼女のものでした。
まるで彼女の声が、私の心の中に入り込み、私の心全部に広がった感じです。
気持ちを落ち着けながら、私は自分の考えが正しいかどうかを、確かめようと思いました。
それで、もう一度歌いかけて欲しいと、心の中で彼女に願いました。
すると、彼女は同じメロディーの歌を、私に向かって歌ってくれました。
その声が耳に届くと、さっきと同じように、悲しみが再び、私の心に広がりました。
そこで私は悟ったのです。
彼女の歌とは、彼女の想いそのものなのだと。
歌という形で、彼女は自分の悲しい気持ちを、私に投げかけたのでしょう。
そして、それを受け止めることで、私は彼女の悲しみを、直接体験したわけです。
どうして、そんな夢を見たのかはわかりません。
その女性が何を伝えたかったのか、私と彼女の間にどんな関係があるのか、そんなことは何もわかりませんでした。
でも、その夢を見てから、メロディーとはその人の心が、形を持って表現されたものなのだと、私は理解しました。
物理学的に言えば、メロディーは音ですから、空気中を伝わる、振動エネルギーに過ぎません。
だけど、それは恐らく、一面的な捉え方なのでしょう。
メロディーとは音の形をとった、その人の心の一部なのだと、私は思うのです。
メロディーに、歌詞がついているかどうかは、関係ありません。
歌詞も言葉を通して、気持ちを表現したものです。
でも、メロディーはもっと根源的な所で、心を表現したものなのです。
だから、楽しい気持ちで作ったメロディーは、他の人が聴いても楽しく感じるのです。
また、悲しい想いがこもったメロディーは、聴いた人を悲しい気持ちにさせるのです。
誰かが作った歌を、別の人が自分の歌い方で歌った場合、それはもう初めの歌とは全然別物です。
誰が作った歌かではなく、誰がどういう気持ちで、歌っているかがポイントなのです。
時代によって流行る音楽を、いろいろ聴いてみると、きっとその時代に生きる人々の、心の状態を探ることができるでしょう。
そういう目、いや、耳で現代の音楽を確かめてみると、どんな心に触れられるのでしょうね。