おめでとう 照ノ富士関
大相撲7月場所で、元大関で東前頭17枚目の、照ノ富士が優勝しました。
14年春場所新入幕した翌年には、大関昇進した照ノ富士ですが、膝の怪我に病気が重なり、18年には番付が、幕下まで下がりました。
その後、休場が続き、19年春場所には序二段にまで、番付を落としました。
体力も落ち、何度も相撲を辞めようと、考えたと言います。
しかし、その都度親方になだめられ、何とか辞めずに、続けて来たそうです。
そして気持ちを切り換え、再び身体を鍛え直して、徐々に番付を上げて行き、今日、幕内優勝を果たしました。
本当に立派なことだと思います。
落ちる所まで落ち、そこから這い上がって来て、優勝を果たした照ノ富士の頑張りは、多くの人を勇気づけたことでしょう。
大関だった頃の照ノ富士は、酒を浴びるように飲み、健康のことなど、ほとんど考えていなかったそうです。
病気の治療中にも、お酒を完全に断つことは、できなかったと言いますが、気持ちを入れ替えてからは、一切飲むことをやめたそうです。
そうして病気を克服し、体力を取り戻すことで、健康の大切さを実感した照ノ富士は、他にも大切なことに気づいたと言います。
それは、本当に困っていた時に、誰が一緒にいてくれたか、ということです。
相撲を辞めようと思うほど、落ち込んでいた時に、周囲の人々が、ずっと支えて励ましてくれていた。
そのことに照ノ富士関は、とても感謝し、その人たちのためにも、もう一度頑張ろうと思ったそうです。
もし照ノ富士関が、かつて大関になった勢いで、横綱になっていたとしたら、どうだったでしょう。
自分は強いから、横綱になれた。
強さこそが全てだ。
そう思い込んでいたかも知れません。
しかし、相撲人生を諦めるような苦難に遭い、照ノ富士関は、今の心境にたどり着いたのです。
照ノ富士関が相撲を諦めていたら、周囲の人々に支えられていた事に、気がつかなかったかも知れません。
そうなれば、絶望と悔恨と諦めに満ちた、人生を送る事になったでしょう。
再び頑張ると決めて、それをやり通した強い意志が、照ノ富士関を気づきの人生へと、導いてくれたのです。
人生は、好きなことをやっていたとしても、必ず壁やスランプのようなものが、立ちはだかることがあります。
しかし、諦めずにに頑張り続けたら、再び道が見えて来るのです。
そのことを照ノ富士関は、身をもって示してくれました。
本当に素晴らしいし、感謝の気持ちで一杯になりました。
これからも頑張って、ぜひとも横綱になってもらいたいと思います。
照ノ富士関、本当におめでとうございました。