心を一つに
8月になりました。
すっかり梅雨も明けて、夏の青空が広がっています。
こんな空を眺めていると、どこかへ出かけたくなってしまいます。
でもコロナウィルスが、広がりを見せてる今は、出かける意欲がなくなりますね。
具合が悪いのに出かけて行き、あとでコロナに感染している事が判明した。
そんな報道を聞くと、腹が立つと言うより、悲しくなります。
検査も100%ではありませんから、本当は陽性でも、陰性に出ることがあります。
ですから症状があれば、コロナに感染していると想定して、行動する必要があります。
それなのに、症状があるのがわかっていて、他の人がいる所へ出て行くというのは、あまりにも無責任で、あまりにも身勝手です。
症状がないから、自分は大丈夫。
あるいは、軽い症状があるのに、それを症状だと理解していない。
そんな人が、多くいるようです。
こういう人たちは、自分は感染していないと確信していますから、悪気なく出かけたり、帰省したりして、ウィルスを広げてしまいます。
このことを考えると、いくら自分が元気でも、できるだけ人混みに行くことは避け、帰省や食事会も、遠慮する心構えが必要でしょう。
自分たちで、どのように行動するかを、責任を持って決めるよう心がけること。
そうすれば、Go To キャンペーンのような、タイミングを考えない、愚かな政策が実行されても、問題は起こりません。
みんなが、それに乗らなければいいのです。
政府が旅行を勧めたから、遊びに出かけただけだと、言い訳をしても仕方がありません。
それは政府に責任を押しつけて、自分の責任を放棄しているのです。
そんな人たちが、誰かにウィルスを、感染させてしまうのは、とても残念なことです。
でも、その事よりも、その無責任な姿勢に、人々は怒りや悲しみを覚えるわけです。
こういう方たちに、ネットなどを通して多くの人が、非難や中傷を浴びせかけるのは、みなさん、ご存知のことでしょう。
また、感染を恐れるがために、県外ナンバーの車を見つけると、その車に対して攻撃的な態度を見せたり、嫌がらせをするということもありますよね。
その人が、同じ県内で暮らしている人であっても、お構いなしに、出て行けと言ったりします。
感染への不安や、好い加減なことをする人に対する腹立ちは、理解できます。
しかし、度を過ぎた個人攻撃や、その人の家族や職場まで、攻撃するようなことは、絶対にやめなければなりません。
大切なことは、好い加減な人がいたら、その人に自分がしたことを、理解させることです。
本人に反省させ、他人を思いやるように、考え方を変えさせることなのです。
感染したことを公表したら、バッシングを受けて、家族や職場までもが、ひどい目に遭わされる。
そう思ったら、感染が疑われる他の人は、検査もしないまま、自分の症状を隠し通そうとするでしょう。
そうなれば、わからない所で、感染はどんどん広がって行きます。
外出を自粛してくれるなら、まだいいのですが、自粛してくれるとは限りません。
感染疑いを隠しているので、捕まえて隔離することは不可能です。
本来であれば、国や自治体が、毅然とした態度を、見せるべきなのです。
感染者のプライバシーは守りながら、非常識な態度を見せる感染者には、その責任を理解させることを、きちんとやらねばなりません。
ただ、ホテルや病院に隔離する、というだけではだめです。
感染について理解できていない人には、ちゃんと理解させるという事を、国民に示さないといけません。
それをしないから、人々は無責任な行動に腹を立て、その無責任さに対して、自分たちが鉄槌を下してやろうなどと、考える人が出て来るのです。
この人たちは、自分は正義を貫いていると、信じているのでしょう。
でも、やっていることは犯罪です。
感染拡大を防ぐという意味でも、無意味どころか、かえって逆効果です。
バッシングを繰り返す人は、世の中を正すつもりが、バッシングそのものが、目的になって行きます。
そして、毎日バッシングの獲物を、探し回るようになるのです。
今は、みんなが一つに、ならねばならない時なのです。
みんなが思いやりによって、心を一つにする必要があるのです。
そうしなければ、この難局を乗り越えることはできません。
体調を壊して、熱が出たり、お腹が痛くなったりしたとしましょう。
たいていの人は、解熱剤や胃薬などを、飲もうとします。
それで症状が軽減すれば、一安心です。
だけど、体調を壊した本当の理由を探って、そこに対処しなければ、本当の治療にはなりません。
軽減したように見えても、症状は治りきらず、いつまでもだらだらと続きます。
それと一緒で、コロナ騒ぎというのは、病んだ社会が出している、うめき声なのです。
今は世界中が、そのうめき声を抑えようと、必死になっている状態です。
でも、本当の病巣部を見つけ出して、適切な処理を施さない限り、うめき声はいつまでも続くでしょう。
では、その病巣部とは、どんなものなのでしょうか。
それは思いやりの欠如です。
もちろん、個人的には思いやりに満ちた人は、たくさんいます。
しかし、社会という広い範囲で見るならば、思いやりに欠けていると、言わざるを得ません。
民主主義という言葉も空しく、この社会は権力を握っている者たちが、自分たちに都合のいいように支配しています。
その結果、冨は一部の者たちに集中し、ほとんどの人たちは、困難な暮らしを強いられているのです。
今の社会は、この権力者たちが作ったものですから、思いやりなどありません。
思いやりがあるように見せかけますが、実際は大した助けになりません。
あるいは、権力者たちに協力する者たちにとっては、思いやりがあるような、仕組みでしょう。
思いやりがない世の中だから、一般の人たちの中にも、それが当たり前だと受け取って、他人に平気でつらく当たる人が、出て来るのです。
しかし、そのような人たちも、自分たちが騙されていることに、気がつく時が来たのです。
今は、みんなが心を一つにする時です。
コロナウィルスは、そのことを私たちに、教えてくれています。
政府が何を言おうとも、思いやりの気持ちに基づいて、自らの考えで行動しましょう。