驚きの黒い雨訴訟
広島に原子爆弾が投下された後、放射性物質を含んだ黒い雨が、広島県内に降りました。
その雨を浴びたり、雨に汚染された水や、野菜を口にしたことで、被爆した人たちが、被爆者手帳の交付を、求めて起こした訴訟が、黒い雨訴訟と呼ばれるものです。
その訴訟の広島地裁判決が、今日下されました。
訴えていたのは、70~90代の男女84人(うち9人は死亡)だそうです。
国は黒い雨が降った範囲の内、大雨が降った地域を選定しました。
そして、その地域内で、黒い雨を浴びた住民については、無料で健康診断を行いました。
その中で、癌や白内障などの、国が指定した疾病と診断された者には、被爆者健康手帳を交付しました。
被爆者健康手帳を交付されると、医療費が原則無料となります。
しかし、大雨地域と認定された所以外で、黒い雨に濡れた者は、別扱いされたそうです。
被爆によるものと思われる症状が出たり、病気になっても、被爆者として認定されず、被爆者健康手帳を、交付されなかったと言います。
この方たちが具合が悪くなっても、医療費は無料になりません。
境界線のこちらと、向こうにいるというだけで、一方は医療費が無料とされ、もう一方は自己負担を求められるのです。
この理不尽に、耐えきれなくなった方たちが、2015~18年に提訴して、この訴訟を起こしました。
原爆が投下された1945年から、実に70年が経ってからのことです。
それまでこの方たちは、ずっと我慢を強いられて来たのです。
そして、初めの提訴から5年目の今日、ようやく地裁の判決が出ました。
結果は、訴えが全面的に認められた、原告の勝利です。
よかったよかったと思って、話を聴いていた私は、被告が誰なのかを知って驚きました。
当然、被告は国だと思っていたのです。
しかし、被告になっていたのは、広島県と広島市でした。
そこで、この訴訟について書かれた記事を、詳しく調べてみました。
すると、被爆者健康手帳の交付対象となる、地域を決めたのは国でした。
広島県と広島市は、国からの法定受託事務として、実務を担わされていたようです。
つまり、国が決めた規定に基づいて、手帳の交付という事務作業を、広島県と広島市が、執り行っていたわけです。
そして広島県と広島市は、国の規定に基づき、大雨地域にいなかった者の、手帳交付の申請を却下していたわけです。
一方で、広島市は大雨地域が決められてから、このエリアを拡大するよう、国に働きかけて来たと言います。
それは大雨地域以外にも、被爆者がいると認識していたからです。
それなのに、その人たちが手帳の交付を申請すると、それを拒んだわけですね。
そこのところが、私はどうも合点が行きません。
市の言い分としては、自分たちは市民の立場に、寄り添って来たつもりだけれど、市の立場上、国が決めた基準に基づいて、動くしかないという事なのでしょう。
県が手帳の交付を、受け付けなかったのも、同じ理由なのだと思います。
ただ県は市のように、手帳交付の対象地域の拡大を、国に求めてはいなかったようなので、市ほどは被爆住民の立場に、寄り添ってはいなかった、と言えるでしょう。
それにしても、矛盾を感じてしまうのは、私だけではないと思います。
県も市も対外的に、原爆で被爆した事をアピールして、その悲惨さを二度と繰り返さないようにと、訴え続けていたはずです。
それなのに、自分たちは被爆に苦しむ、住民の訴えに対して、耳を塞いでいるわけです。
こういう姿を見せられると、毎年8月に行われる、あのイベントは何なのだろう、と考えてしまいます。
本気で原爆の悲惨さを、訴えていたわけではなく、そうする事で単に広島の名前を、世界に知ってもらおうと、していただけなのかと疑いたくなります。
でも、もちろん戦争の愚かさ、原爆の悲惨さを、本気で世に訴えている人々は、いるわけです。
実際に、つらく苦しい体験をしながら、生き延びて来た方たちや、その方たちの実情を知って、自分たちも力になりたいと、心から願った人たちがいるのです。
その人たちの想いを考えると、広島県と広島市が、被爆者たちに取って来た態度というのは、裏切り以外の何物でもないでしょう。
手帳交付地域の拡大を、国に訴えなかった広島県は、話になりません。
しかし、訴えを続けて来た広島市も、被爆者への具体的な救いの手を、差し伸べなかった点では同罪です。
だからこそ県のみならず、市までもが被告にされてしまったのだと思います。
自分に子供が二人いたとしましょう。
そのどちらもが、国の政策が原因で、不治の病になったと考えて下さい。
国は一人の子供については、保証をすると言います。
でも、もう一人の子供については、国に責任があるとは言えないとして、何の保証もしません。
あなたは、どうしますか。
一応、国に文句は言ったけれど、国が一つも動いてくれない。
だから、お前は諦めてくれと、保証をされない子供に言いますか。
私ならば、国を動かす努力は続けながら、保証をされない子供の力になります。
保証をされないがために、生活に困るのであれば、躊躇なく生活支援をします。
親であれば、家族であれば、当然だと思います。
県や市が、住民を家族のように考えているのならば、住民に代わって、国に対する訴訟を起こすべきでしょう。
また、国が被害者健康手帳の交付を認めないため、交付ができないと言うのであれば、その分の保障を、県や市が独自に行うべきだと思います。
大切なのは、苦しむ人たちの立場に、立つということです。
被爆で身体を壊すのもつらいことですが、自分たちがのけ者にされていると思わされるのも、とても悲しくつらいことです。
きっと、被爆で苦しむ以上に、つらい思いをされたのだと思います。
戦争が終わって何十年も経つ内に、被爆地域の行政に関わる人々さえもが、被爆を他人事のように、受け止めるようになったということでしょうか。
それにしても、いつものことながら、腹が立つのが、国の姿勢です。
国民を何だと思っているのでしょうか。
税金さえむしり取ってしまえば、死のうが苦しもうが、関係ないという事なのでしょうか。
恐らく、そうなのだろうという事は、今のコロナ騒ぎにおける、政府の動きを見ていると、よくわかります。
国民の立場に立った政策など、何一つありません。
一応体裁だけ整えたような、政策ばかりです。
強調するのは、どれだけ多くのお金を、使ったかという事だけです。
どれだけ国民の気持ちに添った、政策をしたかという事は、一つも言えません。
しかも、じゃぶじゃぶ無駄に使うお金は、全て国民の血税です。
今は各都道府県の知事の、聡明さが求められています。
国には何も期待できないと、ほとんどの国民が、考えているでしょう。
実際、優秀な知事は、県内外から称賛されています。
広島の知事や市長も、反核を訴えるパフォーマンスもいいですが、もっと違う所で人々から称賛されるような、リーダーシップを取って欲しいと思います。