人生の岐路
右へ進むか、左へ行くか。
人生には分岐点が、いくつもあります。
進学するのか、就職するのか。
進学先をどこにするのか、あるいは就職先をどこにするのか。
行きたい所をとことん狙うのか、それとも適当なところで妥協するのか。
好きな人に告白するのか、黙ったままにしておくのか。
二人好きな人がいた場合、どっちの相手を選ぶのか。
あるいは、どっちも選ばないのか(どちらにも、選ばれない場合もあります)。
都会で暮らすのか、田舎で暮らすのか。
便利な暮らしを選ぶのか、不便さを楽しむのか。
人が多いのが安心なのか、静かで落ち着くのがいいのか。
言い出したら、きりがありませんね。
とにかく、いろんな分岐点があるのです。
人生の分岐点は、本人の意思とか好みとは関係なく、突然現れることもあります。
災害で家が壊されたり、仕事を失ったり、大病や大怪我などで、動けなくなったりと、それまで歩んでいた道から、強制的に別の道へ、移動させられる場合です。
分岐点で一方の道を選ぶと、もう一方の道は見えません。
そちらへ進んでいたら、こうだっただろうかと推測はできますが、直接確かめる術はありません。
自分の意志に関係なく、思いも寄らない道を、進むことになると、その道がどこへ続くのかなんて、考える余裕などありません。
不安な気持ちから、見えなくなった、もう一方の道へ、思いを馳せ続けることでしょう。
しかし、いつまでもそんなことはできません。
いつかは、渋々ながら自分が進む方向に、目を向けることになります。
その時に、かつての自分であれば、気がつかなかったような、大切なものを見つけることがあります。
すると、その道がどんなにつらい道だったとしても、そこに喜びを見い出せるのです。
ただ、みんながみんな、大切なことに気づいたり、喜びを見つけられるわけではありません。
こんなはずではなかったと、悔やみ続ける人もいます。
どうなるかは人それぞれで、その人次第です。
普段の自分の気持ちが、どこを向いているのか。
それがはっきりしていれば、分岐点が訪れた時に、右往左往することはありません。
それは分岐点が、突然現れたとしても、同じことです。
違う道へ行こうかと思っても、まだ迷っていて、自分一人では決めかねる。
そういうことはあると思います。
今の道に特別不満があるわけでもない場合、なかなか思いきったことはできません。
下手に動いて、失敗する人の姿を見たら、なおさら動こうかとは、思わないでしょう。
どっちつかずの状態で、気持ちはフワフワと、あちらこちらへ向かいます。
しかし、今の道を進めなくなると、その状況が背中を押す形になって、前からやってみたかったというものに、チャレンジする気持ちが動きます。
そこに喜びを見つけられたら、そちらへ進もうという気持ちが、ますます強くなります。
今の道を進めなくなるというのは、災害や失業、大病や大怪我などに、限ったことではありません。
何となく、今していることに、気が乗らなくなった。
今の職場へ行くのが億劫で、行こうとすると具合が悪くなる。
何か他のことをしたいと、いうわけではないけれど、少なくとも、今の仕事はしたくない。
こんな風に、心が今の道を拒む時には、人生の分岐点が、迫っているサインです。
ただ、分かれ道が二本だけとは限りません。
三本以上の道が、あるかも知れないのです。
冒頭の分岐する川の写真のように、分かれる道には、それぞれの色があると考えて下さい。
分岐点の手前の、まだ川が一本の所でも、色はすでに、二つに分離を始めているのです。
このように、自分がどの色なのかによって、分岐する方向は決まっていると、言うことができます。
自分で進む道を選んだ、と考えることは可能です。
でもそれは、その時すでに、自分の色が確定していた、ということなのです。
どう進めばいいのかわからないと言って、流れに流されたままの、木の葉のような人がいます。
実は、こういう人たちにも、自分の色があって、その色の流れに流されているのです。
他人の目からみて、その流れがいいとか悪いとかは、言えません。
それが言えるのは、その流れを進む本人だけです。
もし、その流れが居心地が悪くて、こんな流れは嫌だと思うのであれば、自分の色を変えればいいのです。
そうすれば、再び分岐点が現れて、新たな色に応じた方向へ、進むことになるでしょう。
自分の色を変えない限り、こんなのは嫌だと愚痴りながら、ずっとその流れを進むのです。
今の仕事や、自分が置かれた環境に、疑問を感じている時は、自分の色を確かめましょう。
それはつまり、自分が何をしたいのか、どんなことに喜びを感じるのか、ということです。
先に述べましたように、自分の色がわからないと嘆く人にも、ちゃんと色があります。
嘆いているうちは、ずっとその色の流れに乗って、進んで行くのです。
でも焦ることも、心配することもありません。
その方向が、自分に合わなければ、必ず居心地が悪くなります。
そうすれば、何で居心地が悪いのか、と考えます。
すると、そこから自分が、何を求めているのかが、次第に見えて来るのです。、
そうか、自分はこういうことを求めていたのか、とわかれば、しめたものです。
自分の色がはっきりすれば、その人はその色の道を、進むようになるでしょう。