銀河鉄道の夜
宮沢賢治という方を、ご存知でしょうか。
「銀河鉄道の夜」という物語を、世に出した方だと言えば、うなずく人も多いと思います。
他にも「雨ニモ負ケズ」という詩が有名です。
宮沢賢治は、とても独特な雰囲気の文体を用いる方です。
物語でよく描かれているのは、自然の中の生き物や、田舎の人々です。
個性的な表現の中に、科学的でハイカラな言葉が散りばめられ、何より思いやりのこもった優しさが、文章全体に満ち満ちています。
それは宮沢賢治が、世界や人生について深く考え、貧しく恵まれない人々を励ましたいと、心から願っていたからに違いありません。
宮沢賢治は多くの作品を創っていますが、その中でも、「銀河鉄道の夜」は格別だと思います。
まず、銀河鉄道という言葉が、ずいぶん洒落ていると思いませんか。
当時、宮沢賢治が暮らしていた岩手では、蒸気機関車は時代の最先端の乗り物でした。
蒸気機関車は、遠くにある未知の世界へ向かって、どこまでも自分を運んでくれるような、気分にさせてくれたのでしょう。
そして、今はどこでも見られるわけではなくなった、美しい銀河の夜空。
宮沢賢治が見上げた夜空には、いつも不思議な銀河が、広がっていたのでしょう。
宮沢賢治には、二つ違いの妹がいました。
でも、賢治が26才の時、妹のトシは結核で亡くなります。
可愛がっていた妹の死は、賢治を深い哀しみに追いやりました。
死んだ者がどこへ行くのか、賢治は探求していたようです。
しかし、死者の行き先など、わかるはずもありません。
無限の宇宙を眺めていると、その先に天国があるように、思えたのでしょう。
そこへ行けば、亡くなった妹にも会えると、賢治は考えていたのに違いありません。
「銀河鉄道」とは、祭りの夜に満天の星空を見上げながら、いつしか眠ってしまった主人公のジョバンニが、見た夢の話です。
ジョバンニは親友のカムパネルラと一緒に、銀河鉄道に乗って、宇宙を旅します。
旅の途中で、不思議な人々に出会ったり、神秘的で少し怖い感じの場所に、たどり着いたりします。
ジョバンニは、どこまでもカンパネルラと二人で、旅をしたいと考えていました。
しかし、気がつけばカムパネルラはいなくなり、ジョバンニは独りぼっちになってしまいます。
全てはジョバンニが見た夢でした。
ジョバンニが町へ戻ると、町は大騒ぎでした。
カムパネルラが川で溺れた級友を助けながら、自らは水に沈んだと言うのです。
それはちょうど、ジョバンニがカンパネルラと一緒に、銀河鉄道の旅をする夢を、見ていた時でした。
私がこの物語を読んだのは、まだ学生の時でした。
とても不思議で切なくて、生きているということが、嬉しいのに悲しい、そんな気持ちにさせられました。
人は死んだらどうなるのだろう。
そんなことを真剣に考え始めていた頃でした。
銀河鉄道の夜は、今でも大好きな物語ですが、当時の私に、大きな影響を与えた本の、一つでもありました。
宮沢賢治の深い洞察力と、博学の知識、そしてそれを物語に創り上げる文才は、本当に素晴らしいと、今でも思っています。
ただ、昔この物語を読んだ時と今では、少し受け止め方が違います。
今の私には、銀河鉄道の夜が、宮沢賢治が創作した物語と言うよりも、宮沢賢治の叫びであるような気がするのです。
ずっと苦労をして、悲しみを背負い、貧しい人々のために生きて来て、それでも思ったようにならない苦悩と絶望。
膝折れて、倒れ込んでいまいそうな中、それでも宮沢賢治は、自分を導く光を、感じていたのだと思います。
銀河鉄道の機関車は、その光が差す方向へ向かって、進んでいたのでしょう。
まだ生きている自分は、最後まで機関車に乗ることは、できなかったけれど、最後にはあの機関車に乗って、光の世界へ行けるんだ。
そんな想いを叫んだのが、銀河鉄道の夜ではないか、と感じるのです。