前を向こう その7
営業成績がよくて表彰され、みんなからちやほやされると、初々しかった頃の気持ちを、忘れてしまうかもしれません。
本当はお客の笑顔を見るのが嬉しくて、営業をしていたはずなのに、褒められて注目されることに気持ちが向いてしまったために、お客の顔を見なくなっていたならば、その人はその時点で、自分が進むべき道を誤ってしまったわけです。
わるい事が露呈した時が、転落の始まりのように見えますが、そうではなく、自分の本来の目的、本当の想いから外れた道へ、足を踏み入れた時こそが、本当の転落の始まりなのです。
でも、転落してしまい、何もかもがだめになってように見えても、それで自信を失ってはなりません。
それは要するに、この道は行き止まりですよ、と教えてくれているだけだからです。
普通の道でしたら、行き止まりだとわかったら、自分は道を間違えたのだと思って、違う道を進みますよね。
それと同じようにするだけのことなのですが、人生の転落を味わうと、なかなか次へ進む気力がわかないかもしれません。
それは何故かというと、人生の転落がいけないこと、恥ずかしいことだと、思い込まされているからです。
本当はそんな基準など、どこにもありません。
自分の進んで来た道、自分がやって来たことが、間違っていたなと思ったなら、それを修正すればいいだけのことです。
もちろん、それでも白い目を向ける人はいるでしょう。
でも、それはその人の勝手であり、人のことをそのような目で見る人は、自分自身をも同じ目で見ることになるのです。
そして、それはその人の人生の重しになるわけです。
ですから、他人がどう思おうと、放っておけばいいのです。
過去の楽しい思い出は、逃げ場所に使うのではなく、ようしもう一度やり直しだ、と考えるためのきっかけにしましょう。
同じことは、営業成績の争い以外でも、いろんなところで言えると思います。
SNSでみんなに注目を浴びることを、目的にするのもそうですし、何のために働いていたのかも忘れて、ひたすらお金儲けに邁進するのもそうです。
本当に自分が求めていたはずのものは、何だったのか。
過去の楽しい思い出は、それを思い出させてくれるものです。
昔のことを思い出したくなったなら、今の状況をよく見回して、思い出が何を伝えようとしているのか、心を傾けてみるといいと思います。
それがわかれば、再び前を向いて、人生を歩むことになるでしょう。