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前を向こう その2

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誰かに、多くの人前で侮辱されたとしましょう。

あなたはその侮辱に対して、相手をやり込めることができません。

やり返せれば、恥を掻くのは相手の方で、自分ではありません。

でも、やり返すことができず、みんなの視線を一身に浴びることになれば、あなたは深く傷つくでしょう。

自分を傷つけた相手への怒りはもちろん、自分に不信の目を向けた人々に対しても、怒りと悲しみを覚えます。

それでも、それだけのことで、あなたは何もできません。

相手をやっつけることもできなければ、人々に自分の弁解を聞いてもらうこともできないのです。

弁解したところで、火に油を注ぐようなもので、騒ぎが好きな人たちは、余計にあなたを攻撃するでしょう。

また、自分を傷つけた相手を、直接傷つけるようなことをしたならば、却って自分が暴力的な人間だと思われますし、下手をすれば本当に居場所がなくなってしまいます。

こんな状況を、どう解決すればいいのでしょうか。

まず、何かの状況に傷つくとすれば、その状況が傷つくべきものだという、思考があるのです。

つまり、何がよくて何が悪いかという価値観ですね。

人前で侮辱されることは恥であり屈辱だ、というのは、誰しも当たり前に思うでしょう。

でも、この世に生まれて来た時には、そのような考え方はなかったはずです。

あなたは真っ白の状態で生まれて来て、そこにいろんな思考や価値観が、成長に合わせて上書きされて行くのです。

侮辱されることが恥だとか屈辱だという考えも、ここに上書きされた価値観に過ぎません。

そこに絶対的な意味はないのです。

ファッションと同じで、人は多くの人が身に着けているものを、自分も身に着けたがるものです。

また、それに馴染んでしまうと、それを身に着けているという感覚すらなくなるほど、当たり前になるでしょう。

あなたの心に上書きされた価値観の多くが、これと同じように、みんなが持っている価値観だから、それが当たり前のように感じているのです。

でも、人とは違った個性的なファッションを好む人がいるのと同じように、人とは異なる価値観を追い求める人もいるのです。

そんな人は同じような状況にあっても、傷つくことがありません。

相手が何をしても、それを恥や屈辱だとは受け止めないからです。

ですから、そもそも心が傷つくことはありません。

誰かに何かをされて傷ついたなら、どうしてそんなことで傷ついてしまうのか、よく考えてみるといいでしょう。

そして、それが傷つくべきものだという価値観を、自分の中に見つけたなら、直ちにそれを捨て去るのです。

こんな考えは、自分には似合わないやと、ポイッと捨てればいいのです。

そして、自分に本当にふさわしい価値観を、身に着けるのです。

そうすれば、取れないと思っていたはずの、心のくさびは、その瞬間に消え去ります。

ただ、自分を傷つけるような価値観が、なかなか捨てられないかもしれません。

それは、そこにさらなる問題がひそんでいるということです。