考えてますか その1
世の中には、不思議なことがあるものです。
幽霊しかり、UFOしかり、臨死体験しかり、超能力しかり、前世記憶しかり。
これらは、いわゆる科学の範疇には含まれていません。
そのため、ただの思い込みだとか、見間違いとか、いかさまだとか、エセ科学などと言われがちです。
でも、科学が認めている生命や進化、宇宙などについても、やはり不思議としか言いようのないことばかりです。
科学者がデータを用いて説明すると、何となくわかったような気になったりもしますが、でも実際には何もわかっていません。
生命とは何なのか。
進化とは何なのか。
宇宙とは何なのか。
学者がどんな説明をしようとも、それはその学者の推測でしかありません。
本当のところは、よくわかっていないのです。
また、心とは何かということも、全然わかっていません。
脳の活動だと説明する人はいますが、それでは心が何なのかという説明にはなっていません。
脳の話は、脳と心にどんな関係があるのかを、説明しているに過ぎないのです。
とにかく、世の中は不思議なことだらけです。
子供の頃には、そんな不思議に魅了されますが、大人になっても、その気持ちを抱き続ける人は多くありません。
みんな、日常の暮らしに没頭してしまい、本当に大事なことを考える機会を、失っているからです。
言ってみれば、これはルールや目的、意義などを説明されないまま、バーチャル世界あるいはバーチャルゲームの中に、放り込まれたようなものです。
もちろん、バーチャルを体験しているという記憶は、失われた上でです。
みんな、自分が何者なのかを知りません。
どうして、この時代、この世界にいるのかも知りません。
何故、自分が今の家、今の地域に生まれて来たのかも知りません。
自分の性別や体の状態についても、それが選択された理由を知りません。
とりあえずは周囲の人たちと、同じようなことをやっていますが、本当のところは、自分が何をすべきなのかを知りません。
そもそも、この世界がどんな所なのか、この世界は一体何なのかを、知らないのです。
何のルールもわかりませんから、自分が暮らす地域に流通している決まり事や考え方を、当たり前のこととして身に着けます。
生きる理由もわかりませんし、死ぬということもわかりません。
ただ漠然と、生きることがよくて、死ぬことはよくないことと、受け止めています。
人生は一回きりで、やり直しがきかないと思うので、他人と自分を比べて、自分は恵まれているとか恵まれていないとかと考えます。
恵まれていないと思うと、恵まれているように見える人たちが、うらやましくなります。
場合によっては、腹が立ちます。
でも、悪態をついたり誰かを傷つけたからと言って、自分の状況がよくなるわけではありません。
人生は不公平だと思いながら、その理不尽な人生を、流れに乗って歩み続けるしかありません。
そして死が近づくと、恐れで取り乱し、嘆き悲しむのです。
しかし、それは何も知らずに、人生というゲームをしているからです。
どうせ考えたってわからないと思わずに、いろんなことを考えて下さい。
専門家と呼ばれる人に任せるのではなく、自分自身で考えるのです。
また、何かを理解する時には頭を使うので、考えて理解すると思いがちですが、感じるという感覚も非常に大切なのです。
理屈で理解するのではなく、感覚で理解するということも、身に着ける必要があるのです。
何故なら、私たちが知っている理屈というのは、絶対的なものではないからです。
絶対的なものであるのなら、不思議なことは一つもないでしょう。
不思議なことがあるということは、知っている理屈に不備があるからです。
つまり、私たちが知っている理屈は、限定された理屈と言えます。
それなのに、今の科学で全てを説明できると豪語する人は、傲慢です。
そういう人は不思議を不思議と認めずに、そんなものはないと決めつけて、自分の立場を護ろうとします。
でも実際にはわかっていないことは多く、全てを説明することはできません。
だからこそ、感覚で理解することが大切なのです。
まずは感覚で理解する。
理屈は、あとからついて来るのです。
むずかしいことがわからなくても、まずは感覚的に自分なりに、不思議と思われることを理解するようにして下さい。
その上で、世の中はどうなっているのか、自分とは何なのかと、考えてみて下さい。
その答えは決して無駄になりません。
何故なら、それが自分の人生の指針となり、人生を豊かなものにしてくらるからです。