言うばかり その3
何かをしなくてはいけない時に、すぐに行動に出ないのは、本音ではしたくないからです。
でも、どんな本音なのかによって、その後の取るべき行動が、違って来ます。
まず、その人の本音が人間的な欲求である場合です。
たとえば、ブラック企業などで、無茶苦茶な仕事を押しつけられ、決められた期限内に、それをやり遂げろと命じられたとしましょう。
それに素直に従っていると、必ず心身に異常を来すことになりますが、何も考えられない人たちは、それに従おうとします。
指示通りにできなければ、自分が無能だと思うのです。
でも、そんな指示なんて糞食らえと思える人は、わかりましたと口では言いながら、実際には仕事がはかどりません。
当然、上司などから叱られるわけですが、そこで叱責に耐えながら、そこに留まろうとしていると、やはり具合が悪くなるでしょう。
嫌だと思いながら、そこに居続けることは、矛盾しています。
この場合、さっさとそんな所とはおさらばして、自分が納得できる仕事を探すべきでしょう。
今度は、その人の本音が動物的な欲求にあるとしましょう。
たとえば、家族や仲間から何かを頼まれたとします。
断れないので引き受けますが、気持ちは美味しそうな食べ物や、楽しそうなゲームなどに惹かれています。
家族や仲間が大切なのは、言葉としては理解していても、感覚としては理解ができていません。
その頼まれごとが、うまく為されなかった時に、相手がどれほど困るのかは、想像ができません。
そんな人は、頼まれたことを面倒くさいこと、できればやりたくないことと、受け止めます。
ですから、頼まれたのとは違うことをしてしまったり、頼まれていたことを忘れてしまったりします。
その結果、大変なことになったとしても、自分は悪くないと言い張ります。
要は、この人は家族や仲間の大切さを、本当には理解できていないわけです。
その結果、大切な人たちを失う羽目に遭うことに、なりかねません。
それが本音である以上、いいも悪いもないのですが、こういう人は大切な人を失っても、すぐにはその意味が理解できないかもしれません。
でも、長い時間を経た後に、必ず大切だったはずの人たちの存在を、思い知ることになるでしょう。
それも経験であり、それによって人は成長するので、仕方がないことですし、どうしようもありません。
でも、口先ばかりで何もしないという背景には、このような本音が隠れているのです。