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脳と心 その1

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脳と心が関係していることは、誰もが知っていると思います。

人が何か行動をする時、体の動きは脳からの指示に従ったものです。

人がものを考える時、それに応じて活動するのは、脳です。

体が五感で感じ取った情報を、集約してそれが何かを理解するのも、脳です。

人が何かを考え、体を動かし、何かを感じている時、それぞれに応じた脳の一部が、活発に活動することが、脳の研究で確かめられています。

そのため、体を支配しているのは脳であり、脳こそが人間の本質であるという、考え方が生まれるのです。

それは、人間の本質は心であるという意味なのですが、物質主義的な物の見方をすると、心とは実体のないものであり、脳の活動によって生じた幻影のようなもの、という捉え方をするわけです。

たとえば、光の中を物体が動いた時に、そこに生じる影のようなものであり、水面に小石を投げ入れた時に生じる、波紋のようなもの、と見ているわけです。

影は、元の物体があるから生じるものであり、その物体がなくなれば、影もなくなってしまいます。

水面の波紋も、水の動きが生み出したものであり、水がなくなれば、波紋も失われます。

多くの学者は、脳と心の関係を、このように捉えているようですし、多くの人も、それらの学者の考えを、受け入れているようです。

でも、本当にそうなのでしょうか。

確かに、影自体は物質とは言えません。

影は、そこに光のエネルギーがない、あるいはとても少ない状態を、示しているだけです。

水面の波紋も、物質とは言いません。

物質は水であり、波紋はその水の一つの状態を、表現してものに過ぎません。

同じように、心は物質ではなく、物質である脳の活動の、ある状態が表れているだけだと、考えるわけです。

でも、影や波紋と、心の間には、大きな違いがあります。

影や波紋は、そこに生じている変化を、外から眺めています。

一方で、心とは脳活動の変化を、内側から眺めているのです。

これはとても大きな違いです。

つまり、物質という表現を取る時には、人は対象物を外から眺めているということです。

そして、物質主義という考え方は、対象物を外から眺めることしか、できないという捉え方なのです。

心は外から眺めるのではなく、内側から感じるものです。

心の存在を認めるということは、外からしか眺められないはずの物質には、内側という側面があるということを、認める事になります。

簡単な言い方をすれば、万物には心があるということです。

人間に心がある以上、これは否定しがたいことだと思うのですが、何故か科学の世界では、それを否定する傾向にあります。

どうしても受け入れろというのであれば、万物に心があることを、証明せよと言うのです。

でも、学者は自分に心がある自明のことを、科学的に証明することができません。

精々、心の活動に応じた、脳の活動があると説明するぐらいです。

でも、それは脳の活動と心の活動の関連性について、説明しているだけのことであり、心自体の証明とは言えません。

心とは何か。

それをきちんと説明できた時に、心の存在を証明できるのですが、そんな証明は本当は必要ありません。

何故なら、自分に心があるということは、誰もが知っていることですから、証明する必要がないのです。

するべきことは、心の存在を証明することではなく、心とは何なのかということを、深く考えることなのです。