幸せですか その6
一緒になれた好きな人と、その後も別れることなく、幸せな日々を過ごせたら、それは素敵なことでしょう。
また、多くの人がそれを望んでいるはずですが、実際は喜びは初めのうちだけで、次第に喜びは日常の忙しさの中に、埋没して行きます。
そして、人生とはそんなものだと受け止めて、形ばかりの夫婦やカップルでいることに安心しようとするか、相手と一緒にいる自分の役割を、義務的に果たそうとするようになります。
そこには満足も喜びもありません。
ただ、惰性で一緒にいるだけです。
人によっては、とても苦痛に感じてしまい、浮気に走ったり事件を起こしたりすることもあります。
どうしてそうなるのかと言うと、好きな人と一緒にいられることが、どれだけ幸せなのかを、理解できていないからです。
本当にその人が好きならば、その人に対して、何も求めないでしょう。
ただ、そばにいられるだけで幸せなのです。
何も求めていないからこそ、何かをしてもらえたら、それはもうとんでもない喜びです。
二人で一緒に何かができたなら、それは最高の極みです。
好きな人には、何でもしてあげたいと思うでしょう。
でも、相手は自分とは違うのですから、好みも考え方も、基本的には違っていて当たり前と、理解しておかなければなりません。
そうでなければ、好意でしていることが、ただの親切の押し売りになるからです。
よかれと思ってしたことで、相手が嫌な顔を見せたなら、相当がっかりすることでしょう。
場合によっては、何でわかってくれないのかと、好きであるはずの相手に、怒りや憎しみを向けることになりかねません。
相手が嫌な気持ちを押し殺し、嬉しいふりをし続けたならば、その人は遅かれ早かれ病気になるでしょう。
もしかしたら、それが原因で死んでしまうかもしれません。
本当に相手が好きであるのなら、相手の全てを受け入れて、相手を自由にさせてあげるべきなのです。
その人が、その人自身でいられるように、その人の本当の光を放っていられるように、見守ったり手助けしたりするのです。
自然の野鳥を、ただ眺めて嬉しくなるのと同じです。
こちらがすることが気に入れば、それを喜んで受け止めるでしょうし、気に入らなければ、見向いてくれません。
こちらとすれば、どうすれば喜んでくれるのかと、それを探るだけのことです。
でも基本的には、野鳥と直接やりとりをしなくても、ただ野鳥が近くに寄ってくれるだけで、嬉しいでしょう。
好きな人と一緒にいられる喜びも、それと同じです。
相手に何かを求めたり、こちらの考えを押しつけたりしなければ、争いは起こりません。
前世で愛する人を突然失う経験をしたと考えてみて下さい。
その愛する人と今世で再び巡り会い、再び一緒になることができたとすれば、その人と一緒にいられるというだけで、幸せを感じられるのではないでしょうか。