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レッテルを貼るな その6

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人は死ぬとどうなるのでしょうか。

無になってしまって、その存在は消え失せてしまう。

これはレッテルです。

死んだら魂になって、あの世へ行く。

これもレッテルです。

実際、どうなのかを自分で確かめていない限り、こうだと決めつけるのは、全てがレッテルを貼ることです。

死んだら無に帰するのか。
魂になってあの世へ行くのか。
あるいは、他の状態があるのか。

これらは全て推測であり、絶対にこうだと言えることではありません。

人間の思考が進み、今以上に世界を知る方法が発達したならば、これらのことが推測ではなく、事実だと理解できるようになるでしょう。

でも今の段階では、どれも推測の域を出ていません。

とは言っても、個人的に臨死体験や体外離脱体験などをして、死んでも終わりではない、心は脳を離れて存在する、と認めたならば、それはその人にとっては真実です。

しかしながら、同じ経験をしたことがない人にとっては、真実ではなく推測になります。

死んだら、その先はどうなるのだろう。

本気でこう考えたなら、決して死に対してレッテルを貼りません。

レッテルを貼ってしまうと、それが結論となって、先へは進めないからです。

人はいつか死にます。

人に限らず、生き物と呼ばれる存在は、いつかかならず死を迎えます。

この地球がなくなってしまえば、そこで暮らすものは、全てがその物質的存在を失ってしまうのです。

何者も死から逃れることはできません。

その死がどのようなものなのか。

人は日常の暮らしに埋没することで、この重要な出来事から目を背けてしまいがちです。

でも、その時はひたひたと近づいて来て、いつか目の前に現れるのです。

その時になって慌てたところで、どうにもなりません。

死が何なのかを理解することもできないまま、死に呑み込まれるのです。

死は普段から考えることではない、というのも、死に対するレッテルです。

死は重要なものではない、というレッテルです。

そのレッテルを貼ることで、死についての思考は停止し、自分が死に直面するまで、死を思い浮かべることがありません。

しかし、死を理解しようとする人は、いかなるレッテルも貼らず、いろいろ調べ、自分で考え、自分なりの答えを求めようとします。

その先には必ずや、他の人とは異なる世界が開けることでしょう。

先が見えない険しい山道を、懸命に登っている時に、突然目の前に明るく広い場所が、現れるようなものです。

そうして、自分が登って来た道は、この場所へ誘うものだったのだと知るのです。

つまり、自分がこれまで生きて来た道の意味が、理解できるということです。

死にレッテルを貼ることは、生にレッテル貼ることにもなります。

人生なんてこんなものさ、というレッテルです。

知らず知らずにそんなレッテル貼ってしまうことで、多くの人が自分の可能性を、封印しています。

誰かがレッテルを貼ったとしても、真似をすることなく、常に探究心を持ち続けて下さい。

それは人生の喜びへと、あなたを導いてくれるでしょう。