レッテルを貼るな その3
病院で病名を告げられると、自分はその病気なのかと、納得してしまいます。
いくら調べても、具合が悪い理由がわからないと、何かとんでもないことが起こっているのだろうかと不安になります。
でも、病名が付けられると、それがひどい病名だったとしても、病名がわからないのと比べると、ほっとするようです。
それは、自分の今の状態が、世間で知られたものなのだという安心感があるからです。
でも、病名はついているものの、病気の原因も治療法も、まだわかっていないということはあります。
それは名前がついていないのと、実質的には同じことなのですが、名前が付けられた上で、原因も治療法もないとなると、もうだめなのだと宣告されたようなものです。
名前に説明が添えられることで、レッテルを貼られたのと同じになってしまいます。
また、レッテルを貼られた方も、それを受け入れてしまうのです。
自分の今後の人生は、このレッテルどおりになるのだと、信じ込んでしまうのですね。
もちろん、それに反発を覚えて、そんなレッテルなんか糞食らえだと言う人もいます。
そういう人は幸いです。
でも、それができない人の方が大半でしょう。
実のところ、他の病気だって、どうしてそうなったのかなんて、わかっているようで、わかっていないのです。
同じような生活をしているのに、一人は病気になって、もう一人は病気になっていないということもあります。
その理由を病院で説明することはできません。
恐らくですがと、聞かれた医師が自分の考えを述べるだけであって、それが正しいという証拠は、どこにもありません。
また、病気になったら病院で薬をもらって治してもらう、という構図ができあがっていますが、この構図が本当に正しいのかを、よく考えてみるべきでしょう。
人間は本来病気にならないようにできています。
それが病気になるのは、それなりの理由があるわけです。
その人自身の生き方ですね。
自分の体を弱らせるようなことを、知らずに続けているはずなのです。
それは人によって異なりますし、それを探って解決しない限り、本当の病気の治療にはつながりません。
慢性疾患として、死ぬまで病院とのお付き合いを求められるだけです。
治療法がないというのは、病院でもよくわかっていないという意味です。
本当に治療法がないという意味ではありません。
原因がわかれば、治療は可能です。
そして、その原因の多くは、その人の暮らしの中にあるのです。
しかし、治療法はありません、この病気は治りません、というレッテルを貼られてしまい、自分でもその気になってしまうと、そのレッテル通りの将来が待っています。
レッテルを信じることなく、自分で原因を見付けて改善すれば、病気はよくなるでしょう。
レッテルを貼らせない、信じないというためには、自分で考え、自分で行動し、自分の人生に自分で責任を持つ、という姿勢が大切です。
それを他人に任せようとするのは、自分の人生を他人に委ねるのと同じです。
今のコロナウィルスにしてもそうですが、専門家が貼りまくっているレッテルと、現状との違いが、浮き彫りになっているのではないでしょうか。
レッテルに惑わされることなく、自分で考えて行動したいものです。