死を意識する その3
死ぬということは、この世を去るということです。
でも、それで全てが消え去るのではなく、自分という存在は残り、また別の人生を生きるのだとすれば、死というものが、それまでとはまた違ったように見えるでしょう。
人生という旅路の末に、大きなブラックホールが、ぽっかりと口を開けて待っているようなイメージが、死にはあると思います。
しかし、ブラックホールではなく、一つの扉があって、その扉をくぐって向こうの世界へ行くことが、死であると理解すればどうでしょうか。
その先にも、またいくつも扉があって、次はどの扉をくぐろうかと、自分で選んで扉を開くのです。
それは新たな生へ向かう扉で、その扉をくぐると、私たちは新たな人生を、一から歩み始めることになるのです。
そんな風に考えれば、死というものが虚無に思えたり、恐ろしいものと受け止めることは、なくなると思います。
前世があるのであれば、来世もあるわけであり、それらを考えると、死とは何もかもを呑み込むブラックホールではなく、次の世界へ通じる扉のようなものと、思えるでしょう。
死を考えるということは、人生の時間が限られているということを、知ることです。
しかし、それだけではなく、死は次の世界、すなわち、次のゲームが、その向こうで待っているということを、示してくれているのです。
それがどんなゲームになるのかは、今のゲームがどんなもので、どんな経過をたどって、どんな結末を迎えるかによって、変わって来ると思います。
さらに言えば、今私たちが体験している、人生というゲームも、前世の人生をいかに過ごしたかによって、選ばれたものだということです。
もちろん、選んだのは自分自身です。
そんなことは、覚えていませんが。
自分がゲームに夢中になっている時、そのゲームが途中でゲームオーバーになれば、悔しいのではないでしょうか。
それで同じゲームを、今度こそクリアしてみせるぞと、躍起になって繰り返し挑戦するのではありませんか。
そのゲームが面白く、奥が深ければ、今度こそがんばるぞという気持ちが、湧き上がるはずです。
そうして選んだのが、今の自分の人生なのです。