死を意識する その1
私たちは日常の中で、どれだけ自分の死を、意識しているでしょうか。
自分がいずれ死ぬということは、問われれば、それはそうだとわかります。
でも、その事実を頭に残して、暮らしている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
人々が死を意識するようになるのは、年老いて体の衰えを感じるようになった時か、大怪我や大病で迫る死に直面させられた時でしょう。
あるいは、生きて行くのが嫌になり、自ら命を絶とうと考える時かもしれません。
いずれにしても、それまでどおりの暮らしを続けているうちは、自分の死を意識することはありません。
それはある意味で自然なことだと言えます。
恐らくですが、自然界における生き物たちは、自分がいつか死ぬということを考えながら、行動してはいないと思います。
人間も自然の生き物と同じだと考えると、死を意識しないで、与えられた生をひたすら生きるということも、別におかしなことではないでしょう。
でも、人間は自らの死を意識することができます。
他の生き物がそれをしないのであれば、そこは人間と他の生き物との違いであると、言えるでしょう。
言い換えれば、自らの死を意識しない者は、人間としての特性を発揮できていない、ということになります。
ゲームには必ず終わりがあります。
始めがある以上、必ず終わりもあるのです。
それを知った上で、ゲームを楽しむのか、何も知らないまま楽しむかの違いです。
それは、ゲームの大きなルールを知って、ゲームをしているかどうかということです。
知っている者と、知らない者の間には、ゲームの楽しみ方や、ゲームから得られる喜びに、大きな違いがあります。
本当にゲームを楽しみたいのであれば、ゲームの時間には制限があるということを、知らねばなりません。
人生もそれと同じで、死を意識するかしないかで、その人の人生の豊かさは、大きく違って来るのです。