あなたは誰? その1
あなたは誰ですかと尋ねられると、自分の名前を言うと思います。
それでも相手がよくわからなければ、自分の家や仕事、学校のことを説明するでしょう。
相手が外国の人であれば、自分がどこの国の人間かまで話すと思います。
日常的なやり取りであれば、それで説明ができたことになり、相手もそれ以上は突っ込んで聞いたりはしません。
ですから、こんな質問があっても、それでうまく答えたと思ってしまうのですが、でも、本当にそれが正しい答えなのでしょうか。
自分の名前や家族、仕事、学校などを説明することで、答えが完了してしまうのは、私たちが認識している世界が、絶対的なものであり、この世界以外の世界は存在していない、という考えが前提にあるからです。
この世界以外がないのですから、この世界に生まれて来る者は、無から誕生することになります。
また、死んでしまうと、この世界から消えるわけですから、その者は無に帰するというわけです。
子供の頃から、死んだらどうなるんだろう、生まれる前はあったのかな、世界って何だろうか、などと考えたことが、一度はあると思います。
その答えが見つからないまま、何となく世界は一つだけで、生まれる前も死んだあとも、何も残らず消えてしまうと、多くの人が思い込みます。
でも、その根拠を聞かれても答えられません。
何となく、そうなのだろうと思っているに過ぎないからです。
しかし、何となく思ったことが、とても強力にその人を縛りつけ、死んだらおしまいだとか、一つしかない人生なのに、どうして自分はこうなのかと、不安やあきらめなどの気持ちになってしまいます。
しかし、そんな気持ちは嫌なので、なるべくそんなことは忘れようと、日常生活に没頭します。
つまり、何も考えず機械のように同じ日々を繰り返すのです。
楽しむと言うと、他の人がやっていることを、真似するばかり。
お金がなければ、その楽しさは持続できませんから、お金稼ぎに懸命になります。
それでも、いつかは必ず自分の死に直面する時が来ます。
あるいは、大変な病気や怪我で、身動きが取れなくなったりするかもしれません。
そうなると、それまで無視していた不安が、無視できなくなってしまい、人生に絶望せざるを得なくなってしまいます。
しかし、これらの不安の根源はというと、世界はここだけで、生まれる前も死んだあとも、何もないという考え方です。
人生は刹那的であり、どんなに華やいだ人生を送ろうとも、結局は花火のように消え去ってしまう、というのが、一般に広まっている考え方なのです。
でも、どうしようもない不安に陥った時には、もう一度このことについて考えてみて欲しいのです。
そして、生まれる前や死んだあとに、何も残らないってことは、ないのでないかと思えるようになったなら、そこでまた考えてみて下さい。
自分はいったい誰なのかと。
今の名前が答えになるのは、この人生においてのみです。
人生の前後があって、自分という存在が、今の人生を超越したものであるならば、今の名前だけで、自分を説明することはできません。
では、自分はいったい何者なのか。
それを、じっくりと考えてみて欲しいと思います。