花の不思議 その2
人間の普段の見方を離れて、生き物をとらえてみましょう。
まずは、植物にも昆虫にも心があると、理解するのです。
昔の人は、一寸の虫にも五分の魂、と言いました。
これは、とても大切な受け止め方だと思います。
昔の人は、山や森、大木や巨石などにも、魂が宿っていると考えていました。
今では、そんなのは根拠がない迷信だと思われていますが、私は昔の人の考え方の方が正しいと思っています。
根拠がないという時、現代科学で説明できないとか、科学の理屈に合わないということが、暗に主張されています。
しかし、人間の科学が宇宙や世界を創ったわけではありませんし、宇宙の神秘のほとんどを、今の科学は解き明かせていません。
ということは、宇宙のほとんどすべてを、私たちは否定しなくてはいけなくなります。
私たち自身の存在だって、今の体の仕組みや、構成元素がどんなものかぐらいしか、わかっておらず、どのようにして人間が現れたのかは、未だに謎でしょう。
また、私たちの本質と言える心でさえ、科学では明らかにされていません。
物質ではないものは、科学の対象外にされてしまうのです。
つまり、科学の立場から言えば、私たちの存在自体がまやかしであり、有り得ないわけです。
自分は存在していると思っているだけで、本当は存在していないのだ、ということになるのですね。
でも、そんなことを言えば、科学自体が存在し得ません。
科学が存在するということは、科学を生み出し理解する、心が存在していることは明らかです。
こんな面倒くさいことを言わなくても、誰もが自分の存在を理解していますし、自分の本質が心だということもわかっています。
それなのに、その心がどのようなものかがわからず、物質と呼ばれるものにばかり、意識を向けているので、植物にしても昆虫にしても、五感で認識できる以外の部分は、存在しないと決めつけてしまうわけです。
それでも、ペットや植物を愛している人にとっては、可愛がっている動物や植物にも、心があることは当たり前です。
でも、ペットや植物の世話をしていない人でも、植物や昆虫にも心があるのだと、考えてみて欲しいのです。